豊田義博「就活エリートの迷走 (ちくま新書)」

就職活動で実にうまく自分を売り込み、内定をいくつも取るような「就活エリート」。彼らが、入社以降にうまく会社の仕事に適応できていない例が多いとこの本ではいう。

単に、採用する側に見る目がなかったという主張はこの本ではなされない。エントリーシートや面接で、仮想的・非日常的に「あなたのやりたいことはなんですか?」と問うことに重点がある今の就活のシステム。こういう、「やりたいことをはっきりさせるべし」、というゴール志向の就活に見事に適応してしまえばしまうほど、行き当たりばったり的にさまざまな経験を積まされる実際の仕事に違和感を感じてしまうのだ、という。

ゴール志向を強調し、会社のビジョンを示したうえで、キャリアを自分で作っていくことを求める就活。しかし、実際仕事をはじめて、その通りにキャリアがポンポンと進んでいくことはあまりないだろう。よくわからないことをさせられたり、他人との関係で自分の志向とは違うことに回り道をさせられながら、一歩ずつ自分が成長してくのが仕事というものだとすれば、なおさらだ。自分の「やりたいこと」という将来構想を認められて就職した新入社員は、認められたと信じて疑わない自分のキャリアパスとそのゴールが、その通りにいかないことにいらだちを感じる。

ビジョンを体現できていないその職場の仕事の実態や、ビジョンと乖離した思考・行動を取っている上司や先輩たちを歪んだものとして見てしまう。(p167)


これは、何となく実感としてもよくわかる。
今仕事をしている研究室では、みんなで協力して研究をチームでやることだとか、外部との交渉を必要とすることだとか、シンクタンク的な調べものだとか、社会とのつながりの大きい会社的な仕事も多く、そういうことに学生に積極的に関わってもらうという方針をとっている。それも含めて、教育なのだという立場である。
そういう状況はなるべく入ってくる前に言うことにしているのだが、「研究者というのは自分のやったことを自分のものにできることだ、他人より個人的に努力さえすれば成功できる」、という実に理想的な研究者像を教育されて染み付かせてくる学生には、それでも戸惑いが大きいようだ。
実際、研究でも、どんなに先輩や教員がサポートして本人が努力していても、その通りに成果がでないこともある。理想では考えもしなかった、「他人との関係を良好に保っていく」「他人からのお願いをなるべく面倒でもきいてみる」ということが、自分の研究を切り開いていくヒントや突破口を得る上でも、案外重要だったりするのである。


そんなことを思うと、自分の例に照らし合わせても、この本で述べているように、結局は、採用する側の問題だという気がする。いい学生に入ってもらおうとすると、取り繕った、かっこいいビジョンを示そうと背伸びをしてしまう。しかし、仕事の現場が全てその通りかと言えば、そんなにうまくはいかない。
だから、採用担当者は、もっと現状をちゃんと示して、それでもいい、一緒に職場を良くしていきたい、と身の丈でチャレンジしてくれる人と一緒に仕事をすればいい。

この本では、かつて「就社」という言葉で否定的にとらえられていた『まずは会社に入って、与えられた仕事をする中で、職業的な自己を確立していく(p222)』という方法でいいではないか、と主張している。
なんだかこれには感慨深いものがある。中学生から高校生くらいのころ、この「就社」という概念(というふうには当時は認識していなかったが)がいやで、就職難に直面した学生が、「どこでもいいから就職したいです」なんていうのを、おかしいじゃないか、と憤っていたときがある。若々しくも、自分にしかできないことはなんだろう、なんて思っていたこともあったが、いろいろ自分で手を動かしていくうちに、与えられたものをやりながら自分を作っていくしかない、と思うようになったことを思いかえした。
個人の考えることと同様、社会としての、就職活動や仕事に入っていくときの考え方も、「キャリアを描け」という方向から、「まずはやってみろ」というところに、結局戻っていくのかもしれない。個人的にはそれでいいと思ったが、これを読んだ人はどういう感想を持つのだろう。