毛利衛「日本人のための科学論 (PHPサイエンス・ワールド新書)」

事業仕分けで、孤軍奮闘の大活躍をなさっていた、日本初の宇宙飛行士である毛利衛さん。日本科学未来館の館長という立場から、日本の科学の現状と未来を語る。

この方の主張することはシャープだ。わかりやすければいいとは思わないが、少なくとも、海外の事情や科学の成り立ちから考えて、科学とはこうあるべきだ、ということに関して語られている。


たとえば、最近、「科学技術」という言葉がよくないのではないかという議論があった。「科学」を「技術」とつなげて使うことで、結果の出る「技術」につながる科学だけを重視している印象を与え、基礎研究の軽視につながるという議論である。それには、日本が明治維新以降、技術に結びつけた科学を追究してきた一方で、ヨーロッパの伝統的な研究が、基礎科学を技術ときっちりわけてきたという背景がある。

毛利さんは、そのような立場にはたたない。

しかしいまは、技術の進歩がないと科学も進歩しないという見方が、ヨーロッパでも浸透しつつあります。技術者にとっても、ただ技術力の向上を目指すだけでは限界があって、「なぜだろう?」という疑問に答える力がないと技術ものびないと考えられるようになってきました。(p40)

と書く彼は、だんだん研究者のあり方が変わってきた事情を述べる。そして、目的上科学と技術を分けられるにせよ、研究者はいつまでも「真理の追究」だけを旗印にしてやっていていいのか。どちらも必要なのではないか、と主張する。

これに対する反論は、長い目で見た基礎研究があってこそ、科学が伸びていくのではないか、という基礎研究擁護の議論だろう。毛利さんはそれに対して、科学も結局、人類を生きやすくするための方法の一つだ、と言い切る。直接書いてはおられないが、「だからこそ、役に立たないけどやっているんです、と開き直ってはいけない」と彼は主張しているように読めた。純粋基礎研究の人という印象があったノーベル賞の小柴先生も、自分の拓いてきた研究分野について、最近は「これは…の役に立つ」と述べるようになっている、という話なども、そういう著者の考えとリンクしていておもしろい。


もちろん、すぐにお金につながるものだけでない基礎研究も大事だ、ということも同時に述べている。そこは元来研究者であり、基礎研究の重要性を十分にわかっておられる著者である。ただ、その際におもしろいと思ったのは、『「役に立ちます」と断言せよ(p147)』、と書いているところだ。
なかなか役に立つというところに結びつかない分野でも、少し社会的要請に寄り添って、役に立つことをちゃんと述べよ。そういう試みが、お金の問題だけではないんです、基礎研究も大事なんです、というメッセージを発するためにも重要だ、ということだ。こういった方向は、営利を追求する企業が、地球環境や国際的な問題にコミットしようとしています、などという「企業の社会的責任」を強く打ち出そうとしていることともリンクしている。
そういうメッセージを少しでも発信するために、著者は科学未来館でさまざまな試みをしている。いくら基礎研究が大事だということが当たり前だと思っていても、それは理解されなければ意味がない。一般の研究者こそ、少しずつでも著者の考えを咀嚼してみて、社会的要請に結びつけ、社会に説明できるような方法を考えていく必要があるのだと改めて感じた。


最後に、自分が生き残ることに必死な、科学にたずさわる研究者たちにとって耳の痛いひとことを引用させていただく。これは、宇宙から地球を見た人ならではの主張であるとともに、忘れてはいけない観点だと思ったのである。ここに少し長めに引用するのは、自分自身、そういうことを忘れないように、使命感を持っていきたいなという決意表明でもある。

同時に科学には、個々の人間に人類全体のことを思い起こさせる力が備わっています。
人間は基本的に、人間全体のことを考えようとはせず、自分のことしか考えません。いまでも多くの現代人が、自分のこと、家族のこと、会社のことしか考えていません。だからその意識をどうやって変えていくかというヴィジョンがないと、おそらく二十一世紀中に、地球温暖化に代表される大きな環境変化の中で、人類がいまのような生き方を続けることはできなくなっていくでしょう。
その時、科学は地球全体を俯瞰して課題を提示し、警告を発します。裏を返せば、そのような提示や警告が、科学技術を担う者の使命の一つになるということです。(p85)