伊坂幸太郎「砂漠 (新潮文庫)」

あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。…今、目の前で泣いてる人を救えない人間がね、明日、世界を救えるわけがないんですよ(p110)

学生時代に時おり遭遇する、ともにいた仲間が起こした奇跡のようなできごと、不覚にも感動してしまうようなできごと。後から考えるとたいしたことはないのに、そのときはとても重要に感じたできごと。
そういう、時が経てば消えてしまうようなちょっとした感動を、人は必死に誰かに向かって話す。まるで中に浮いたままのその記憶を誰かと共有することで地面に固定したいかのように。結局、忘れられてしまうとしても、話してともに興奮したその瞬間だけは、何となく心に残る。


伊坂さんはこの本で、そういう、日々の仕事と日常のなかに消えてしまうような学生時代のできごとを、文字の形で留めようとしている。それも、なるべく自分のことを知らない不特定多数の人に届くようなかたちで。意図的ながら邪魔ではないユーモアと、きっちりした伏線、どうでもよさげなエピソードを繊細に並べながら。もちろんフィクションだということは知りながら、ああ、全く同じではないけど、こういうこと、こういう気持ちって学生の時は間違いなくあったよな、と感じて、そう思ってしまう。

難しくないけれども、いや、だからこそ、伝えたいことは、ちゃんと伝わった。人生をあらわす砂漠というモチーフも、サン=テグジュペリ坂口安吾も、くどすぎずにこの小説で言いたいことのニュアンスをよく伝えていて、とても、いいと思った。


ちなみに、登場人物が語る冒頭のセリフは、僕がこの本を読むことになったきっかけの言葉でもある。
小学校のときからの友人と飲んでいるとき。職場の後輩の、理想は高いわりに身の回りの人間一人を助けようとしない態度について、いらだちをこめて同じような言葉をつぶやいたぼくに共鳴した彼が、そういうセリフはまさに聞いたことがある、とこの本を紹介してくれたのだった。学生時代に吐くような暑苦しい言葉、理想が、実際に仕事をする場になって、あんがいものをいうことがあるものだ…と、今は心から思う。