内田樹「街場のメディア論 (光文社新書)」

日本に関わるさまざまな問題は、日本のメディアの抱える問題でもある。日本の抱える問題を解決するには、メディアを変えなければならない。
これは、学部生のときに入っていたゼミの先生がいつも強調していたことでもある。
その意味するところを僕がどこまでわかっていたかはわからない。ただ、それから10年ほど経って読んだこの内田先生の本は、一読して、誰にでもわかることばで、何が問題なのかを説いてくれているな、と感じた。


簡単に前半から著者の思う問題点をまとめると以下のようになる。
一つには、テレビなど、現在のメディアにはあまりにも関わる人、利害が多いこと。すなわち、何を放送すべきか、よりも、事故なく苦情なく放送することが優先されてしまうシステムであること。

二つ目には、メディアのものいいが定型的になっていること。弱者をかばい、官僚や強者を叩く。そのようにマニュアル的になっていることについて、自己批判や吟味がないこと。結果として、誰でも言えることばを垂れ流してしまうこと。

そして三つ目。メディアは惰性的で変わらないものに価値を認めないこと。変化にのみ情報の価値があるという姿勢が、市場至情主義に向かってしまうこと。

どれももっともで、なかにいるものには気づけないか、もしくは気づいていても変えづらいことについてシンプルに指摘していると感じた。
著者が『「なぜ、自分は判断を誤ったのか」を簡潔かつロジカルに言える知性がもっとも良質な知性だと僕は思っています。少なくとも自然科学の世界ではそうです。(p84)』と書いているように、最も重大な問題は、ロジカルに自分の仕事の仕方を見つめられない、科学的知性の欠如なのかもしれない。メディアの人が、一番勉強していないのも、そういうところなのだろう。

さて、本筋からはなれると、この本のおもしろいのは、メディアについて語っていながら、次第に経済について、それと関わる人間の生き方について、に話が及んでいくところだ。そして、そういった中で、内田先生の本の魅力ともいえる、時おり挟まれる人生についての名言はこの本でも炸裂している。

人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇請」によってなのです。(p25)

今遭遇している前代未聞の事態を、「自分宛ての贈り物」だと思いなして、にこやかに、かつあふれるほどの好奇心を以てそれを迎え入れることのできる人間だけが、危機を生き延びることができる。(p207)

著者の言葉は、ただメディア批判をするだけでなくて、では若者はどう生きていけばいいのか、ということにも及ぶ。学生への講義をまとめたもの、ということもよくわかる。ただわかった気になるだけでなく、大仰なことに思いをいたすのでもない。ここにいる自分は、明日からどうすればいいのか、という等身大のことを考えてみることの素敵さに目を向けさせてくれるところが、サービス精神というか、いいなぁと感じる。さすがでした。