ヘッセ「シッダールタ (新潮文庫)」

ちょっとやさぐれていた一時期。『人生には、ヘルマン・ヘッセを読む時間が必要だ』なんて言って仕事をやめた友人に影響され、ヘッセを何冊か一気に買ったのが3年前。
ヘッセ「デミアン (新潮文庫)」 - 千早振る日々
ヘッセ「クヌルプ (新潮文庫)」 - 千早振る日々
そのとき読まずにずっと積まれていた一冊を、日常から逃れたいという気持ちから、ふと思い立って読み始めた。

この「シッダールタ」は、悟りを求めて修行の旅にでた主人公の、精神の遍歴を追う物語だ。主人公の立場こそ「デミアン」と違うが、自分なりの真理を求めて人生の旅を続ける青年の成長を描く点は似ている。


家族や僧の教えにも満足せず、多くの人…同じ道を進んだ友までもが帰依したブッダの言葉にも飽き足らず、一人で自分の目標に達しようとする主人公シッダールタ。人はここに純粋な求道者の姿を見て感じるところがあるだろう。
ぼくはそこに、捨てた方がいいコダワリを感じながら読んだ。追求して得られてハッピーになるという、通りいっぺんな成功物語でないことを願いながら読んだ。
その心配は杞憂だった。主人公は、いかに自分が孤独か、それを認めることがどれだけ重要かということに気づいていく。そして、自分の理想を追うだけではダメだ、と感じ、世俗と享楽の世界に自ら入っていき、そこからいろいろなことを学んでいく。堕落しながらも人は再び立ち上がれるのか。求道者の物語としては意外だったが、このあたりの、世俗における堕落までを描いているのがとてもこの本のおもしろいところで、偉くて堅苦しい、というのではない物語としてオススメできる部分だ。

自分の追い求める理想だけでなく、身近な世界にもまた求めるものがあること。必要なのは、自分にとらわれすぎないということ。


真実を求め学び続けることは素晴らしい、と教えられて育ったものに、そのまま行っても行き止まりだよ、自分の心をちゃんと見つめるべきだよ、ということをわかってもらうのがどれだけ難しいか。そこのところをヘッセは、とことんやさしく、そんなに自分の理想にこだわらずに、なんでもやってごらんよ、と若者の背中を押してくれているようだ。それでも、求めていればきちんとそれは近づいてくる、と。
才能はあるが、自分に自信をもてなかったり、周囲の人間との関係でうまくそれを生かせない人は今でもたくさんいる。堅苦しくないやりかたで、ヘッセはそんな人にヒントを与えてくれる。

そういえば、3年前に「デミアン」を読んだ時に下のように書いた。

これぞ天職だと思うような仕事を見出して働いていても、常に自分自身であると堂々と言えるような自然な心持ちでいるのはとても難しい。いかなることをしていようと、これが自分自身のスタイルであるのだ、と思えるような心持ち。

結局同じところに考えは戻ってくる。自分の長所や得意なことにこだわることと、それを生かすことは別だ。自分のスタイルを築くには、技術でなく、心持ちが大きく関わってくる。


最後に。この本は、若者のためだけではなく、一通り苦難をくぐった大人の、親となったもののための物語でもあることに驚いた。自分のくぐった苦難を、子どもの世代に味合わせたくないという気持ち。そこにもまた、捨てられないこだわりがあること。こうして歴史はまた繰り返す。
人間の一生を濃密に詰め込んだ、実に読みごたえがある傑作だと感じた。