エッカーマン「ゲーテとの対話 上 (岩波文庫 赤 409-1)」

ドイツの偉大な文豪ゲーテの晩年に、彼と親しく交わった若き文学者が、その楽しくも意義深い対話を思い起こす。

ゲーテは、自分の作品の創作の過程や、他人の誌や絵、音楽の批評、仲間との会話を通して、著者に詩作のなんたるかについて語る。どういう対象を選び、どういう形式で創作すべきか。どういうものを勉強して、それをどう生かしていくべきか。人生のなかで、どのように仕事をなしていくべきか…。
詩や文学について多くを語りながらも、しかし、ゲーテの言葉は芸術一般、いや、彼自身が関心を持ち続けた自然科学研究一般についてもとても多くの示唆を与えてくれる。
日記形式なのでページ数は多いが、ぱらぱらと関心のありそうなところをめくって目についたところを読んでいくだけでもとても多くの刺激を受けられる。

年老いてなお、自分で創作意欲を失わず、若者をもりたてドイツの文学をよくしていこうとする、ある意味教育者としてのゲーテ。自分の背中を見せつつも後輩たちを引っぱっていこうとするその言葉の数々は、現代に生きる若いわれわれにも勇気を与えてくれる。


なかでも一番好きなところを引用してみる。

われわれ老人の言うことを誰がきくかな。誰でも自分自身が一番よく知っていると思いこんでいる。それで多くの人が失敗をし、多くの人が長いこと迷わねばならない。しかし、今はもう迷う時代ではないよ。われわれ老人の時代はそれだったんだが、それにしても、君たちのような若い人たちがまたしても同じ道をたどろうということになると、いったいわれわれが求めたり迷ったりしたことのすべては何の役に立ったことになるのだろう。それでは全然進歩がない!われわれ老人の過ちは許してもらえる。われわれの歩んだ道はまだ拓かれてなかったのだから。しかし、後から生まれてくる人は、それだけ要求されるところも多いのだから、またしても迷ったり探したりすべきではない。老人の忠告を役立てて、まっしぐらによい道を進んでいくべきだ。(p58-59)

なんとわれわれは同じことを繰り返すのだろう。迷うのは悪いことではないが、時代はどんどん難しくなり、忙しくなっている(特にぼくのいるような、大学、というところはそうだ)。どれだけ、年上の人の道をうまく使って、それ以上にいけるか。それをまた年下の世代につなげていけるか。
結局、ゲーテのこの言葉は、それから200年経とうとしている今でも、耳が痛くなることこそあれ、あまり役立てられていないようにすら思える。年上の人よりうまくできるさ、なんておもっていても、けっきょく同じところで渋滞に巻き込まれるようなことの、なんと多いことか!
さらに、自分が上に立ってみれば、「どうせ年下の人にはまた別な考えがあるだろうし、自分とは違うし…」なんて遠慮して、伝えるべきことを伝えられないことのなんと多いことか。
彼の言葉は、現代にあってもやはり聞いておいたほうがいい一片の真実に聞こえる。


こう若者にはっぱをかけつつ、私には『苦労と仕事』が多かった、これまで時間を浪費してきた、と愚痴るゲーテには、偉くなってしまったがゆえに周囲の人間に左右され自由な時間がなかなかとれない彼の、飾らぬ姿が見えてほっとする。
ぼくらは、老人の知に富んだ言葉をどれだけ真剣に聞けているだろうか。そして、仕事でも、生き方にしても、少しでも先人より先に進めているだろうか。ゲーテの言葉を読んで、そんなことを考えた。