ミュージシャンという生き方

職場の後輩を連れて、同級生がボーカルをやっているバンドのライブを見に行った。
新しいアルバム発売後の、全国ツアーのファイナル。
久々に買って聴いた新しいアルバムが、良い意味で遊べていて、勢いがあり、いろいろと試みていて、とてもいいと思ったので、ライブを久々に見てみたくなったのだ。

全員30を越えたメンバーたちは、決してもう若くない。今後を楽観できるほど売れてもいない。しかし、その危機感が人を成長させるのか、確実に、バンドはパワーアップしていた。演奏も、歌もよかった。ちょっと自虐的でぐたぐた気味なMCも、ある意味自然体でよかった。一緒に行った後輩が、普通に笑い、いいねー、と言いながら盛り上がっていたのが嬉しかった。

そのラストは、2年半前に発売された、名曲と名高いミディアムバラード。

これが、よかった。
魂の歌唱といったらいいのか。
何かを訴えたいような心の中がどーんと突き刺さってくるような歌い方だった。
歌の盛り上がりにつれて、彼の顔がくしゃくしゃに、まるで泣きたいような顔になっていくのがわかった。

これまで、同級生を応援するつもりでぼくが見てきたライブの彼は、ファイナルだろうがはじめての会場だろうが特別な日だろうが、どこか飄々としていた。葛藤を決して表に出さない彼は、ライブでも盛り上げまじめなことをいいながらも、良い意味でどこか、これも仕事のうちさ、というような感じがあった。しかし、この日の姿は、まったく違っていた。
彼は普段でも、たまに会って酒を飲みかわしているときなども、常に底抜けに明るく、まじめな話もギャグで紛らわしてしまう。その葛藤を見せないさばけた人柄で、他人をいじっては笑いを取る、しょうもなく明るい酔っぱらいだ。しかし、今日はどこかそこからはかけ離れた彼がそこにいた。それが、なぜかとても胸に迫った。

なかなか売れないことへの不安、それでも消えない情熱と自信、さらには、支えてくれるファンへの感謝や、常に一緒にやってきた周囲のスタッフや仲間への感謝など、うかがいしれないさまざまな思いがあったのだろう。
今となってみれば、この曲の前、ファンが静かに聞き入るような曲であるところをあえて、「みんな構えないで、好きに聴いてほしい」という呼びかけを繰り返したのは、その曲を歌ってしまうと、どうしても抑えきれない感情が出てきてしまうことが自分でわかっていた彼の、ある種の照れ隠しだったのかもしれない。

プロのバンドのライブを見に行って感動するのは、パフォーマンスとしての熱狂にというよりは、彼らの音楽にかける気持ちや葛藤などがはからずも表に出てしまうような瞬間を目撃したときだ。
そんな瞬間を、いつも馬鹿な話をしている同級生にふと見てしまった。彼としては見られたくなかった表情だったかもしれないが、自分の感情が作品にはからずも出てしまうという、プロのミュージシャンの因果な生き方がそこにあったように思えた。
照れ屋の彼に伝えるべき言葉をぼくはもたない。ひっそりでもいいから、ずっと応援し続けていこうという気持ちを、ここに記しておくことにする。