酒井穣「「日本で最も人材を育成する会社」のテキスト (光文社新書)」

話題になっていたこの一冊。書評はあちこちに出ているので、自分が覚えておこうと思ったことだけ書く。
変化の激しい時代に社員に何を身につけさせるべきか。OJTは無責任だ、という考え方から、著者が考える手法を提示していく。しかし、実際にどのような手法で現場で人材育成をするか、という具体策についてはあまり新しさを感じなかった。なかでは、『「つねにゴールのテープを切る」という成功体験を積ませつつ、徐々に難易度を高めていく(p131)』、「バックワード・チェイニング」という方法で勝ちぐせをつける(p126)、というあたりを読めたのが収穫。ある程度華々しい結果までの道筋はデザインしておいて、成果の出やすいところからやってもらう、というような手法は時おり実戦することはあるが、もっと徹底して意識しておいてもよいな、と思えた。

Amazonのレビューでは、甘っちょろいというような書き方をされているが、個人的には、具体論よりも人材育成の哲学が心に響いたしおもしろいと思った。
少し前に読んだ梅田さんの「ウェブ時代5つの定理」にも同じようなことが書いてあった、『個人の評判の形成(p64)』の重要性に触れているのは、偶然とは思えない。

評判の良い人材というのは(もちろん例外もありますが)、基本的に自分の責任範囲を超えて、周囲の皆のために自分の何かを長期間にわたって犠牲にしてきた人材です。もちろん、そうした犠牲は自分の個人ブランドを高めるための「投資」なのですが、自分への長期投資すらきちんとできない人材が、企業ブランドのための長期投資ができるはずもありません。(p64)

評判というのはノイズが入りやすい不完全な指標ではあるが、過去の実績や能力もまた完全ではありえず、両方を取り入れていく必要がある、(そして実際そうされていることが多い)という考え方は、時代の流れのせいかコンピテンシーやら自分のあげた成果やらを重く見てそれを早く欲しがる若い人間に、もっと知られておいていい。
「顧客志向(p51)」が利他性に通じ、人間の成長に影響を与えるという考え方も、この評判の考え方と流れているものは一緒だ。政治的なものを嫌い、実力本位を押し出すだけでは真に上に立つリーダーとはなり得ない、利他的なものが重要だ、との考え方は、叩かれやすい考え方だけに全ての人に強調しすぎるのも危険だが、長期的な戦略がおそろかにされがちな昨今に、特に戦略構築に関わるような人材にはもっと知っておいてもらってもいいのではないか。

難しいのは、人間にはそれぞれ時間や体力のリソースというのがあって、全員にこうした長期的なものの見方をしろ、といっても無理だろうということだ。この本を読む人は、そうした、自分のことでいっぱいになってしまうごく一般的な社員をどのように育成するか、ということを期待して読むかもしれない。しかし、上記のような考え方がある程度強調されるように、この本の向いているところはもう少し高く、リーダーとなりうる人材の育成を前提にしていると感じられる。
全員にそういう思想をもってもらえるように、高いところを見てもらえるように、教えられればいいのだろうが、そうもいかないのが社会だよなぁと、個人的にはジレンマを拭いきれない思いである。