本間義人「居住の貧困 (岩波新書)」

地方から出てきた人間にとって、都会において住宅をどうするかという選択は非常に難しい問題だ。利便性がよく、新しいほど部屋は狭く、また家賃は高くなる。家族を持つことになるとますます悩みは増すし、かといって安くて古い建物は災害が怖い。安心して住み続けることのできるまともな家を捜すのは一筋縄にはいかない。

なぜこうなってしまったのか。そもそもこういう状況は自然なのか。都市・住宅政策の専門家が、歴史に学び、世界に学んで日本の住宅の貧しさを問いかけるのがこの本。岩波新書ということもあり堅そうに見えるかもしれないが、著者の目配りの広さと、読んでいる自分のこうした問題への当事者意識の高さからか、非常に興味深く、いろいろなことを考えながら読むことができておもしろい一冊だった。
確かに、数多くの法が出てきたり、歴史的な話が多かったりと、少し堅くて難しいところがある本である。しかし、さまざまな住宅に関する法律やその文言、住宅政策やそれに伴い作られた団体の変遷や歴史、海外におけるそうした法律や政策など、歴史的な法と政策の流れを追っていくことで、見えてくるものは多かった。

公団など、公共的に安い住宅を提供する政策がかつてあったことくらいは知っている。それが、おそらく高度成長期に都会に出てきた人を支えていただろうことも何となく想像がつく。しかし、その後、民間の力を借りる市場化への政策の転換に伴い、賃金水準の低く余裕のない若者や年金生活の高齢者が安心して住める住宅が減少し続けている状況はあまり知らなかった。
他にも自分の現状把握の甘さに驚くような事実が多かった。安いと思っていた公共賃貸住宅も、構造改革のあおりで「近傍民間同種家賃」が適用されたことで、いまや決して安くはないこと。日本の住宅は足りている、といわれているが、その内実は、住むにはまったく水準が低く住宅としてなりたっていないような空き室がたくさんあること。
実感として思うが、どうしてもお金がないときに、それでも借りられるような身体を休められる部屋というのは、もはや人間の住む場所ではないようなところが多い。そういう部屋での生活は、間違いなくその人の精神と身体を徐々に蝕んでいく。
住む場所などもうみんなあるだろう、そのくらいどうにかなるだろう、とでも言わんばかりの住宅政策の薄さは、余裕のない人々への想像力を欠いているとしかいいようがない。一方で、次々と建築されるタワーマンション、「ハイクオリティ」で「くつろぎ」の生活を謳うチラシ。これがおかしくなくてなにがおかしいのか。

住宅政策における「公」の役割が「撤退」してしまった(まえがきii)現状を指摘し、国民の人権としての居住権を保障するうえで社会政策の一環として展開されなければならない(まえがきv)と提言する。住宅政策が、労働政策や福祉政策とリンクして展開されるべきという著者の持論を読むにつけて、視野を広くもって政策を立案できる者が必要だという思いをあらためて感じさせられる。これは、「「法令遵守」が日本を滅ぼす」という本を読んだときにも感じたことで、社会における「法」の大事さ、『複数の法律の目的がぶつかり合う領域』に踏み込んだ社会政策の必要性は、この本で取り上げられている住宅政策という面からも大きく浮かび上がってくる。

よりよく住むことを目指した地域の新しい動きにも触れており、法を熟知した立場から、自治体レベルでできることは多いと具体的な政策を提言しているなど、読みどころは多い。法を知ることの強さを実感するとともに、周りやマスコミの意見に左右されず、我々自身が政府や地方自治体の住宅政策をしっかり見て、課題として捉えていくことが必要だと感じた。