森博嗣「創るセンス 工作の思考 (集英社新書)」

人に喜ばれるものづくりがしたい、と技術者への道を選んだ後輩に薦めるつもりで書く。
この本は、ものづくり・技術者を志すものにとって一度は考えておかねばならない視点をたくさん提供してくれる。設計通り、思うままにならない困難を乗り越え現場で問題解決ができる創造的な技術者とはどのようなセンスを持った人か、またそうなるにはどうすればよいか、について大きな示唆を与えてくれる。

工作少年の最後の世代である著者。自分の家の庭にミニチュアの鉄道を敷設したりと、今でもさまざまなものを作り続けるなかから見出した、工作者、技術者に必要なセンスについて語る。
この本を読んでいると、まさに現役工作少年である義理の父親の顔が浮かぶ。家には模型飛行機が吊るされ、庭には手作りの小さな小屋、部屋にはアマチュア無線の機械、古いカメラが好きで、なんでも自分で作ってしまう。娘や妻にもあまり理解されないながらも自由に作り続ける彼の姿を目にして、彼の話を聞いていると、役に立つとか金が儲かるとかそういう次元ではない、ものを作ることのダイレクトな魅力が伝わってくる。だから、この本の著者の書きたい気持ちも、個人的にはとてもよくわかるし、同じようなものがこの本からは濃厚に感じられる。
そんな工作者である著者が言葉を持って伝えたいのは、

どんな物体であっても、計算どおりにものが出来上がることは奇跡だといって良い。(p46)

という言葉に代表される技術論である。
工学というと、生物を扱ったりするのとは違い、完全に計算できて、狙いどおりになると思われがちが、そうではないのだと著者は書く。誤差があるのも、設計どおりにできないことが多いのも、生物に対するのと一緒なのである。この誤解はまさに自分が自然に持っていたものだったので、痛いところを突かれた気がした。
『設計はあくまでも目安にすぎない。(p87)』力学や材料学などの学んだことだけでは太刀打ちできない現実がある。工学は、レシピやノウハウにして誰でも作れるようにする方向を目指してきたが、それに頼るとこうした狙いどおりにいかない現実に現場で対処できない、真の工作者は育たない、という指摘はもっともである。当たり前のようにすら感じるこの指摘は、著者自身が工学部の学生を教えたり、家の車庫の修理に際して技術者とやりあったりした際のエピソード、そこで感じた日本における技術のセンスの不足という問題とあいまって説得力がある。

生物を扱っているものとして、レシピやノウハウだけでは思うままにならないことがあるということ、その現場で対処できるセンスこそが重要なものだということは、日々痛切に感じている。試行錯誤をしつつ、問題解決の方向を見出していく…いかなる仕事でも、そういう面があるだろう。
だからこそ、工作のセンスは生きること全体に生かせるのだ、という本書の主張は耳を傾ける価値がある。工作が好きな大人が、遊ぶのも上手で、まさに人生を楽しんでいるように見えるのはよくわかる。何かをつくってみようか、という気にさせられる。