佐藤孝治「廃止論 (PHP新書)」廃止論 (PHP新書)" title="廃止論 (PHP新書)" class="asin">

時は就職氷河期、未だ終身雇用が大多数だった10年以上前のこと。「どこでもいいから早く決めたい」とインタビューに答える大学生を見て、「一生の方向を決めてしまうかもしれないのにそれでいいのか?」と、将来の就職活動に対してとてつもない不安を抱いた自分も、はや30代。
その間、「就活」というシステムに常に違和感を抱きつつ、就職協定が崩壊し、時代とともに「キャリア」という言葉とともに語れるようになってきた「就活」の向かう方向に興味を持ちつつ、自分ではそれをせずに今に至っている。
この本を読んで、ついに、本格的に「就活」と日本企業の採用システムが変わっていくときがきたのかもしれない、との思いを強くした。「就活」の可笑しさを「バカヤロー」という過激な言葉とともに糾弾する本が出たのが1年くらい前だったか。本書は、就職採用支援をサポートする企業の社長が自ら、これまで違和感を感じられつつ続けられてきた「就活」がいよいよ終わるだろうこと、新しい就職のスタイルが生まれつつあることを語る。

社会において「誰が人を育てるのか」という巨大な問題の矛盾が凝縮されて表れているのが、大学生の就職活動という場なのである。(p60)

と著者が語られるように、多くの問題が「誰が人を育てるのか」にあることはとてもうなづける。不景気と終身雇用の実質的な崩壊によって、企業が長期的に人材を育てる余裕をなくした現状で、さまざまなことを言う人がいる。大学こそが人を育てるべきだという意見もあるなか、著者の姿勢は、就活生を長く見てきただけあって、非常に柔軟だ。すなわち、『「仕事」と「学び」とは同時並行的(p62)』であり、自分自身で学ぶのが大事なのだ、その垣根を低くしていくべきだ、と述べる。
自分のことを振り返っても、研究室に属する前の自分は、好きに勉強できる楽しさと自由を感じつつも、どこか消化不良だった。「学ぶ」のも好きだが、社会と向き合って何かを実際に作り出すような「仕事」をしてみたかった。自分を一人の仕事仲間として扱ってくれて、実際に(狭くはあるが学会や科学者の集団という)社会と切り結べる研究室という場は、ある意味「仕事」と「学び」を同時並行でできる場所だった。
と同時に知ったのは、そこまで面倒見よく「仕事」をさせてくれる研究室はほとんどない、ということだった。ほとんどの大学の先生は自分のことで精一杯で、学生に「仕事」の一環として、社会を感じさせるような「研究」に触れさせてくれるような余裕はないのだ。
「仕事」を体験しつつ学べる場所…そんな場所が、大学にも、企業にもないとしたら、その間に浮かぶ学生には何のよりどころもないことになる。しかし、新しい動きがないわけではない。著者は、インターンシップのような「仕事」を体験する動きが増えていることを評価し、また、学生としても就職活動に先立って社会との関係をもっと考えてほしい、そうできる就職・採用システムになるべきだ、と考えている。

著者が、重要な人材として必要だと考えているのが、『自分自身の行動原理を持っているかどうか(p134)』だ。これにもぼくは納得がいったのだが、しかし、そんなに簡単なことでもないように思った。おそらく、就活中の迷える学生が読んで一番教えてほしいのが、この「自分自身の行動原理」がどういうことで、どうすれば早く手に入れられるか、だろう。
きっとそれは、それなりの期間、心理的にも深くコミットして、なんらかの仕事なりをすることでしか得られないのではと思われる。バイトでも、ビジネスプランコンテストでも、半端なコミットのしかただと、行動原理を持つ必然性は薄くなってしまうだろう。自分で自分に自信を持てるようになるには、それなりに時間がかかるだろう。
結局のところ、近道はない。学び続けるしかない。しかし、それに気づくのはもっと早い方がいいはずだ。そういう意味で、この本は、大学生になりたてくらいの人にはぜひ読んでもらい、意識を強く持って日々の生活に生かしてくれれば、と思った。
終身雇用という支えは崩れたが、それは逆に、「人生を決めてしまう」ような息苦しさを伴うものだったと思う。それがなくなったあと、自分でどう動いていけば良いのか、という指針が示されているこの本。こういう考え方が出てきたあとで社会に出て行く世代は、ある意味幸せだ。