本田由紀「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)」

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)
大学に入っても必ずしも就職の役には立たない、と感じる人が多いのはなぜか。大学までの教育と、仕事とのリンクを見出しづらい構造になっているのはなぜか。『教育が浪費されている』と考えている著者が、あえて教育に職業的な意義を持たせるべきだと唱える。
Amazonのレビューでもあるように、では実際どうするの、というところは確かに残るが、それはこの本の価値を下げるものではないと思う。「なぜこうなってしまったのか」を考えることはとても大事だ。そういう過去の話が嫌いではない自分にとっては、戦後の高学歴化と教育の職業的意義の現象が一致していること(2章)などはなるほど、と感じた。また、高校の普通科が仕事に備える機能を全く欠いていること、大学も同様であること、新人一括採用が教育の職業的意義の希薄化の傾向に拍車をかけていることも納得だ。
中学生のときテレビで、就職活動中の大学生が「どこでもいいから条件のいいところに受かりたい」と話すのを見て感じた「教育に意味がないじゃないか」という違和感。全く同じものではないとは思うが、そういう違和感を突き詰めて、研究して世に問うているこの本は、個人的にはとても重要だと感じた。

しかし一方で、これを読んだ自分は、この問題について悩んだことがない。大学からあと、ほぼそのまま研究という世界にいるから当然と言えばそうなのだが、読んでいると、著者の書く『職業人・社会人としての自分自身の輪郭が暫定的にでも一定程度定まっていること(p158)』が大きいのだろう。大学院生の時から、仕事だと思ってやっていた。それは、自分自身の輪郭を定めて、力を蓄える力ともなった。そういう意味では、大学の研究室とは、覚悟を決めて入る限りは、そしてそこで良い仕事ができる環境ならば、教育と職業を素直にリンクさせうる希有な場所であるのかもしれない。
問題は、一般的には、その「自分自身の輪郭を定める」ためには就職する必要があること。そしてそれが何もない若者には難しいということ。だからこそ、高校や大学といった高等教育で、少し将来の可能性を狭めてでも、特定の仕事の領域や分野に関する事実を伝え、体験して、職業人としての覚悟と輪郭をつけておいたほうがいいという著者の提案には賛成したい。
努力して夢を見れば何にでもなれる、という理想を捨てて、多くの人は、現実問題として可能性を捨ててでもある仕事をせねばならない、という現実を早めに認識しておくこと。もちろん、社会として「やり直しのきく」構造にしていくことも最重要であるし、早く大人になりたくない人には嬉しいことではないかもしれないが、これからはそういう動きも必要なのかもしれない。

少し離れるが、教育に職業的意義があれば、「科学」を職業と結びつけていこうとする気持ち、科学は人生の役に立つのだ、という認識が高まる、という国際比較の結果は興味深かった。いくら「身近な不思議に目を向ける」などと言っても、仕事や自分のやっていることから離れて、科学そのもので興味を持てる層は限られている。一般の多くの人にとっては、科学は自分の仕事とリンクさせられる場合、仕事に役に立つと思える場合に一番身近なものになるのかもしれない。