北岡伸一「清沢洌―外交評論の運命 (中公新書)」

今年、中公新書は刊行2000冊を迎えた。その際に、「中公新書の森 2000点のヴィリジアン」という小冊子が無料で配布されていたのをご存知の方はいるだろうか。これがまた新書ファンにはうれしい冊子で、この硬派な新書の魅力を語る対談の他、さまざまな知識人の方々が各自3冊ずつ「私の好きな中公新書」を薦めるという企画も用意され、おすすめ本が紹介されていた。
そこで、何人かの方が共通して挙げていたのが1987年初版のこの本である。さぞや魅力的な評伝なのだろうと手に取ってみた。推薦の帯がまたよい。

戦前の自由主義的な言論人の主張が
戦後において実現する。
清沢洌の運命とは
日本の運命のことだった。(学習院大学教授、政治学 井上寿一

満州事変など、第二次世界大戦へ向かう国際的孤立の道を進む日本において、世間の流れに逆らう言論活動を自由主義の立場から続けた評論家・清沢洌の生涯を、彼の文章から追っていく。
日本人移民の排斥運動が高まる時期にアメリカに渡り、独学で文筆業への道を開く過程で、底辺の立場から移民問題を肌で感じた清沢洌。彼は、アメリカと日本の関係について考えを深めるにつれ、『国際関係の基礎は経済力であり、政治的・軍事的な力の果たす役割は二次的であるという考え(p208)』に至る。
こうした考え方は今でこそ特別なものではないが、だんだんと統制経済と戦争に傾斜していく当時の日本においてはなかなか受け入れられるものではなかった。親米派と言われていた人でも、国際状況の変化に伴って持論を変える者が多かったなかで、一貫して経済的な視点から日米の提携を説いたジャーナリストがいたという事実には、驚きと感慨を禁じえない。

清沢洌という人の生涯をたどっていくうちに、今と状況こそ違え、経済という視点から国際関係を見ていこうとする視点の重要性をあらためて学ばされた。サイパン陥落の際に『玉砕や撤退をせずに現地に居残ることにより、日本の経済勢力の確保をはかるべきだった(p208)』と述べたことなどを知るにつれても、戦争という時にすら、それを包含するような一段違う視点からものを考えられることの大事さと難しさを思い知らされる。

もう一つこの本で考えさせられるのは、ジャーナリズムとはどうあるべきかという問題である。「思想がない」と言われながらも、広く材料を内外の雑誌などから集めて平易な言葉で論理的に書く、という清沢洌のスタンスは、戦前には全く受け入れられなかった。さまざまな視点からものを見て、材料を吟味し、わかりやすく論理的に発信するのがジャーナリズムの神髄だとすれば、それが受け入れられなかった、戦争に向かっていく昭和初期のジャーナリズムにはやはり問題があったのだろうと思う。
そして同時に、この問題は今でも有効ではないかという疑問が浮かぶ。印象だけで、細部と自分の小さな思想にこだわってものを書いてはいないか。世間の流れとは一線を画して、伝えるべきものをねじ曲げずに伝えようとしているか。半世紀以上前のこととはいえ、そうしたジャーナリズムのありかたについても深く考えさせられるところにもこの本の価値がある。

コネもなければ思想的に誰かに同調することもない人間が、筆一本で立とうとすること、のみならず必ずしも支持されない自分の考えを自由に書こうとすることの難しさもまた、読んでいて強く感じるところだった。清沢洌が株や会社への出資、不動産などをしっかり準備していたことにも見られるように、他人から非難されようとも、自由に生きるためには現実的にどう生計を立てていくのかについて戦略を練っていくことが必要だ。
そういうところも含めて、自由主義的な一人の言論人のありかたを見ることで得られるところのとても多い一冊。さすがに、多くの人から推薦されているのはダテではなかった。