梶原しげる「毒舌の会話術―引きつける・説得する・ウケる (幻冬舎新書)」

毒舌で「濃い会話」をしよう、本音を語り人間関係を進展させよう、と提案し、芸能人の方々の「説得力のある」毒舌の紹介を通していかなる毒舌が人を引きつけ、説得しうるのかを語っていく。
この本自体はさらっと読めて中身も濃くはないが、毒舌というもの、その扱い方や使いかたに関しては個人的にとても奥の深いテーマだと思っており、興味深く読んだ。
「毒舌で人に取り入る」と述べる有吉弘行さんの本(「嫌われない毒舌のすすめ」)や、「毒舌は強者への武器」と語るビートたけしさんの本(「悪口の技術」)をしっかり踏まえたうえで、1950年生まれの著者ならではの、たけし、談志らのエピソードでぐいぐい押していく。言うまでもなく、若い芸人さんの毒舌とはまた格が違う彼らの毒舌のエピソードはとても愉快だ。彼らを見ていると、年を重ねるからこそ出る、枯れた大人の毒舌というのもあるんではないかとすら思う。
その後この本は若干の中だるみ感があるが、綾小路きみまろの技術が出てくる第三章がまたよい。『毒舌はパッと出して、スッと消す(p158)』なんてのは実に言い得て妙だ。
全体として、頭のいい人の非難がましい言葉ととられないように、毒舌は薄める必要があるのだ、という主張もとてもなるほどと思った。薄めるものは、ちょっとお下品なお話だったり自虐ネタだったりするのだが、人をちょっと落としたい時にそれを言う毒の入った言葉をしっかり薄めて出すというのも、一つのバランス感覚である。

そんなことを思いながらこの本を読んでいると、逆のことも考えてしまう。
同じ頭がいい人でも、毒舌とはまったく無縁な人もいる。しかし、これは個人的にそう思うだけなのかもしれないが、頭のいい人の、毒の全くない、ほとんど文句無く正義のように聞こえる言葉ほど、他人をイラッとさせうるものはないのではないか。毒を加えないで自分を守っているような言葉は、かえって「この人は自分のことを冷たい目で見ているのでは」などと他人に警戒心を抱かせるのではないか。
自虐などで薄めた毒をしっかり吐ける人は、そういう、他人に警戒されうる自分に自覚的な人なのかもしれない。毒も他人とうまくやるうえで重要なサービスの一つ、などと言うと、少し自己弁護すぎるか。
職場でも、仲間内でも、みんながカラッと毒を吐き合えるような雰囲気があったらとても楽だし、むしろ良い関係はそういう雰囲気のほうが長く続くのかもしれないなと思う。