吉田修一「悪人」

吉田修一さんの本は何冊か読んでいる。この本は、単行本が出た年に話題になって覚えていた。文庫化されているのを見てすぐに購入。とても読みごたえのある、じっくり考えさせられる物語。年末年始にぜひ、と薦めたい。

九州で出会い系絡みの殺人事件が起こる。被害者は保険会社に勤める女性。彼女の周囲にある複数の男の影。誰が犯人なのかは明かされぬまま、被害者の女性と関わりのあった一人の孤独な男を中心に、物語は進んでいく。
心霊スポットとして知られる旧道の暗い山道、寂れた漁村、なじみの客がぽつぽつとしか来ない床屋の店先、老人たちを集める怪しげな健康セミナー、道路沿いの客もまばらな紳士服店…。こういった、日本の片隅の風景の描写が、実に良い意味で普通に、そのまま見たように描かれていて、それがこの物語を実際にあったかのように読ませてくれる。この物語と同じようなことが、いまでもどこかの田舎で起こっているかもしれない、と思わせてくれる。そういう風景描写にひきつけられつつ、物語にひきつけられつつ、読んでいった。
語り手の視点はさまざまに変わる。しかし、その場の風景や物などを微妙に重ねるように工夫された場面の切り替えは、良い映画を見ているようで、読む者の集中力を削がない。うまい。

人が殺されている。誰が悪人だと決めるのはわかりやすい。しかし、読んでいるうちに、登場人物の事情を知り、彼ら彼女らの気持ちに寄り添いたくなる自分がいる。
出てくる人みんなを、平凡な普通の人間たちを救ってくれ、と『アマデウス』の最後にサリエリが言う言葉みたいなことを願いながら読み進めた。

読み終わって、タイトルの「悪人」のあまりにもしっくりくることに、考えさせられることに、またうならされる。
…これ以上は書くまい。久しぶりに本を読んで少し泣けた。