水月昭道「アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ)」

博士号を持つ高学歴の若者が仕事にありつけず、「ワーキングプア」とでもいうような状況に陥っている現状を書いた(実は読んでいないが)「高学歴ワーキングプア」が話題を呼んだ著者(こちらにこの本を出すにあたってのコメントがありました)が、ではどうすれば生き残れるかをアドバイスするこの新書。
だいたい読まなくてもわかりそうな内容ならば手を取らないこの手の本だが、なぜか今回は少し違うものを感じて読んでみた。

年齢の高い教授や准教授の人数が多く、若手の少ない逆ピラミッド型の年齢構造になっている大学教員の世界。こうした構造の関係で、博士号をとったばかりの若い研究者が苦しい立場にいることは著者が前の本でも書いている通りであるし、この本でもデータとともに述べられている。
しかしだからといって、若手研究者のそういう状況や、ときに院生が指導教官から「雑用」に近いことを頼まれることなどを「搾取だ!」と言って糾弾していくべきだ、との立場には著者は立たない。そういう怒りを常に感じており、既得権者への鋭い批判めいたものをここでも期待している人には、あまりピンと来ないかもしれないアドバイスがこの本では展開される。
極端な言い方をすれば、それは、「業績だけで目立とうとせず」「雑用に進んでイエスというような、利他の精神を持ち」「チャンスがあれば自分を売り込んでいく」ような、上手な世渡りの仕方である。


こういうことを、真っ正面から書いていることに、ぼくは少なからず驚いた。そういう、悪く言えば、「汚い大人」的な、しかし仕事を普通にしている人にはおそらく当たり前の生き方を書いても、おそらく対象の読者としている層(自分さえ努力していけば成果をどんどん挙げていき幸せになれる、そうあるべきだと信じてやまない人)には反発心こそ招けど、賛同を持って読まれることはないだろうと思うからだ。

最近の院生にはいわゆる下働きをなるべく回避しようとする人が多くなった、という先生方のぼやきをここ数年よく聞くようになった。
「それは私の仕事ではありません」「アルバイト料は出るのでしょうか」
自分の先生から雑用に近いことを頼まれた場合、こんなふうに答えを返す院生はもはや珍しくない。それだけでなく、しばしば「それは搾取じゃないですか」とか、「パワハラですよ、先生」などと、より辛辣な形での返答すら普通になってきたという。(p66)

こういう傾向に著者は警鐘を鳴らし、そういう態度では『未来などまったく見えてはこない(P68)』と断じる。
本というのはいろいろな側面から主張をできるので、この本のように、トータルとして読むとマイルドな、説得力のある意見になりうる。しかし、もしネット上でこういう意見を大きく打ち出して主張するブログがあったら、程度の差こそあれ反発を招き、炎が上がることは間違いないだろうな、というのは、個人的にも自分のブログでもそんなことがあったことを思い返すとよくわかる。


どんな職場や業界でも、「この人と一緒に仕事をしていきたい」という思いこそが、その人を押し上げていく。自分の成果、自分の才能、というものを信じ続けても、他の人と一緒に仕事をすることを楽しく思い、他人のために若干自分を犠牲にできるくらいの心持ちがない限りは、引き上げてくれる人など現れないし、大きな仕事は絶対にできない、と思う。
ぼくとて、すぐにこういう考えが腑に落ちたわけではないからよくわかるが、これらのことを、勉強が好きで大学院に上がってくる人に少しでも感じてもらうことは少々難しいと思う。人事には情緒が絡むもので、出来レースというものは普通にあるということ(第三章)、なども、いくら優しい口調で書かれても、やはり反発したくなるものだろうし。
でも、そういう部分も少しうまくやるだけで、状況はだいぶ変わってくる。雑用を喜んでする、懇親会には出て偉い先生と話してみる、というのがこの本では紹介されているが、このように勉強や論文以外に意味のあることがたくさんあるのだ(良かれ悪しかれ)、ということをいろいろな側面から、まさに若い院生・研究者と同じ立場から語ってくれている。先輩や、ましてや指導教官から聞かされたら角が立つどころではないアドバイスでも、著者の語り口と立ち位置があるからこそ、かなり耳に届きやすいものになっている。
もちろん、もっと国が取れる対策があるだろう、これでは根本的な解決にはならない、という意見も多いだろう。しかし、大事なのは、一人一人が、どうするべきか、どのように自分を立ち上げていくか、である。だからこそ、一人一人の心構えとして、世間や他人の期待を感じ取り彼らに求められる博士であるべきだ、そのためには人が気持ちよくなるようなことを進んでしろ、というようなことを正面から書いたことには、とても意味があると思う。
ある意味勇気を持って書かれたと思われるこの本。上にも書いたが、おそらく、「イエスマンになれ」的なところばかり取り上げられたりして、ネット上での評判はあまりよくはならないだろう。しかし、『「批判」システムや「貶す」価値観からの脱出が、業界で生き残るために真に必要なことなのである。(P90)』という著者の、すぐには腑に落ちないかもしれない深い言葉が、できるだけ多くの人に届いて欲しいと願う。