佐藤多佳子「一瞬の風になれ 第三部 -ドン- (講談社文庫)」

最終巻は、3冊の中で一番ページ数が多い。高校の陸上部の3年生となった主人公とその仲間の、それぞれの挑戦を、大会でのシーンを中心にずんずんと読ませていく。
物語を先に進ませて大団円に持っていくことに意識が行ってしまいそうな、少なくとも読む方は少しそう思ってしまうような最終巻でも、佐藤多佳子さんは技術的なディティールを描くのに手を抜かない。日本の男子リレーチームでも採用されているアンダーハンドパスの特徴と難しさ、練習のしかたの描写などをしっかりと読ませる。
陸上、特にただ走るだけと見えていた競技にも、いろいろな練習があるのだということを教えてくれるのもおもしろい。坂道や浜辺など違った場所を走ったり、ペースを変えながら走ったり、動きの一つ一つを意識しながら走ったり。そういう練習のしかたの細部もまた、経験のないものにはとても興味深く感じられる。
主人公たちの仲間との会話とかやりとりとか、これぞ青春ものという部分もありながら、大人が読んでも自分がやっているようにのめり込んで読まされてしまう理由は、そういうディティールを通して、陸上競技の面白さと未知な部分を次から次へと見せてくれていることも一つあげられるだろうとおもう。これから陸上競技、特にトラック競技については、いろいろ違った目で見られそうだし、もっと知ってみたいと思った。

色々考えさせられるところも多い。
自分と同じことをやっていて、自分よりもすごくできる他人が身近にいたとき、その人と自分を比較しないでいるのは難しい。しかし、そういう気持ちを超えて、自分もまたその人と同じステージに立っていると感じ、自分には自分なりにやるべきことがあると意識できたときの強さ。
ある組織において。過去の先輩や卒業生、同じことにかつて取り組んでいた先達の人たちの歴史の積み重ねのうえに自分の成し遂げたことがあること。過去は過去でありながらも、自分もまた未来へつながっていく一員であること。
…それなりに仕事をする立場になってしばらくやってきて、こういうことをとても実感できるからこそ、共感できる部分が多かった。
読む人によって、面白いと思える部分、共感できる部分、そういうところをどこかにかならず見出せるだろう。