郷原信郎「「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)」

コンプライアンスについて考える二冊目。一冊目の「会社コンプライアンス」は、憲法に詳しい著者が、ある意味理想論的に、極めて真っ正面からコンプライアンスの意義について述べたものだった。それはそれでなるほどと思ったが、今回読んだこちらはかなり色合いが違う。自分で言うのもなんだが、この二冊、いいバランスである。
この少々激しいタイトルの本では、ただ法を守り違法行為を取り締まればいい、と「法令遵守」だけを錦の御旗のごとく追ってしまうことの弊害と、その裏にある難しい問題を読者に提起する。

薄くて簡単だと思っているとなかなか歯ごたえのある本で、正直なところ、著者の言いたいことを正確に理解できたのか自信がない。ただ、談合と独占禁止法耐震偽装建築基準法の例から、「法が市場の実態とうまくかみ合っていないのが問題だ」ということはつかめた。
談合にも、工事を頼む側と請け負う側の信頼をもとにした長期的な関係を築くことで、工事をする会社が安定した資金と人材を確保し安心して仕事をすることができるという「良い面」があること。建築基準法により杓子定規で形式的なチェック機構が設けられる前には、建築をする人たちの信用と倫理が建物を安全に保っていた面もあったこと。
馴れ合いと腐敗を招く可能性がある実態は、確かによろしくない。しかし、法で取り締まることで、市場の公正やら建物の安全をすべて確保できるかというと、それは違うのだというのが著者の主張だと読んだ。

法が柔軟に、うまく適用されないことで国家として弊害を招いた例は具体的にさまざまに述べられている。独占禁止法の運用が非公式に業界の「公正さ」を担保していた談合と摩擦を起こした例が第一章。未成熟な証券取引法とそれを柔軟に適用できなかったために市場の公正を確保できなかったライブドア事件村上ファンド事件について述べる第二章。
著者はまた、そうした、法をうまく適用できなかったことによる弊害や問題点が、「善玉/悪玉」という分かりやすい図式にすぐに飛びついてしまうマスコミにはなかなか報道されていない現実をも鋭く指摘しており、非常にうなずけるものがあった。法を守っているかどうかという表面だけ見て、本質を見ていない、というのである。

では実際、我々がその本質がわかるかといえば、わからないだろう。法は複雑に絡み合っており、経済の実態も日々変わっている。そういうことも含めると、この本が提起している問題の根は実に深い。縦割り行政による、法と法の間の摩擦もその一つ。こちらを守らせようとするとあちらで問題が生じる…といった例もこの本でたくさんあげられている。
そうなると、そうした法と経済の実態が摩擦を生じている事態を、少し上から俯瞰し、法のどこを変えていけば一番合理的かを見出し、柔軟に実態とすりあわせていける法に詳しい人間が必要なのかもしれない。これをとにかく守って、というきれいごとではダメで、法の背後にある社会的な要請を捉えた上でこうしたすりあわせをやっていく必要がある。
『複数の法律の目的がぶつかり合う領域(p138)』に踏み込み、根本的解決ができるような法の体系化が必要であり、それには価値判断をする必要がある、と著者は述べているが、これもまた難しい。結局は、法についてミクロなところに詳しいだけではなく、自分の関わる領域の一段階上のフェーズに上がって、隣接する法のありかたについても提言できるような、いくつかの法を俯瞰して見られるような人間が必要だということなのだろう。

文系の人なら当たり前に思っていることなのかもしれないが、この本を読んでコンプライアンスについて知ることとはまた別に、とても実感できてよかったなと思ったのは、「法」というものの複雑さと面白さである。
杓子定規なイメージがある「法」が、その作り方と運用のしかたで社会をよく変えもすれば、ダメージを与えうる。たくさんの例から、経済や市場など現実の問題と密接に関連した「法」のすがたと、それについて詳しくかつそれを通して社会を見ることのできる人間が求められていることが実によくわかった。
読む人の立場が変われば、マスコミがいろいろな経済関係の事件をどのように報道すべきか、とか、組織がどのようにこの「法令遵守」の流れに対処すべきか、といったことにも示唆を与えてくれるだろうと思う。ぜひ、読んだ人と語り合いたいと思うおすすめの一冊。