伊藤真「会社コンプライアンス―内部統制の条件 (講談社現代新書)」

コンプライアンス」という言葉こそ使わないが、会社だけではなく、法人化した大学(とその機能単位である研究室)もなにかと法令遵守系の指導やそれに関わるお仕事が増えている。例えば安全に実験をすること、正しくお金を使うこと、危険なものを文章にしてきちんと管理すること…。職場によって守らねばならないことは違うだろうが、守るべきことをしっかり守り、それを情報公開できるようにしていきましょう、という流れは確かにあるようだ。それが一般にどういう考え方から来ているのか、どういう現状になっているのか、というあたりをさらってみようと思い立った。
まずは司法試験で有名な著者による、やさしい入門書から。
正直なところ、少々だいじょうぶかな、との思いもあった。この著者にの「…力」系の本を一冊読み、その中身のなさ(当たり前さ)に何も書く気がしなかったことがあるからだ。しかしその「当たり前のことをきちんと書く」というスタンスは、コンプライアンス入門というこの本にはこれ以上ないほどよく生きている。
守らねばならないと思うと息苦しく、またこれ以上リソースを消費するものはない「内部統制」というもの。それを進んでやっていく気持ちを支えるものがあるとすれば、それは著者の言う『他者への共感』の気持ちであり、「会社に関わる社会の人びとだけでなく、会社の一人一人の従業員の利益と幸せの保護も目的としている」という考えだろう。
憲法を熟知する著者のこのような書き方、『自分たちが統制する側なのだp196』という考えは、日々生きるだけで精一杯の人にとって、全くきれいごとに聞こえるかもしれない。が、あえて、良いことを書いている、書かねばならないことを書いている、と言っておきたい。現場の一人一人までが考えることこそが、コンプライアンスのエッセンスだろうからだ。
企業全体で言えば、間違ったことをしたときに、すぐにその詳細を公開して直そうとする態度をとれること。これからは、そうした率直さが、足下をすくおうとする人や、たくさんの落とし穴がある社会において持続して存在していくための一つの条件となるのだろう。良いことだけでなく、悪いことも明らかにして信頼を高められるか。まさに著者の書くように、

このように、コンプライアンスの根底にはリスクマネージメントがあります。株主のみならず、消費者や従業員との関係性をいかにうまく保っていくか、そこにこそ、内部統制、そしてコンプライアンスというものの本質があるのです。(p151)

こうしたことを熟知していることが、上に立つものにとって重要なことだということをよく考えさせられた。
自分にひきつけて大学で考えてみれば、良い成果を出した、ということだけで研究室を主宰するほど危険なものはないのかもしれない。学生との関係、社会との関係、そういうものをうまく保てるか、というあたりは、単に大人だからできるだろう、では済まないような難しさを含んでいる。自分で予算を動かし、従業員を雇い、社会に成果を問うていく機能単位の一つである研究室の長が、必ずしもこうしたコンプライアンスリスクマネージメントを理解していないことが、大学全体としてのリスクになることは考えられる。
この本を読んで、将来的に何人かでも人の上に立って仕事をしたい人にとって、一従業員のときから大局的な危機管理に関心を持つことは非常に重要なことであると改めて感じた。きれいごと、で済ませてはいけない大事なことを書いている一冊。