佐野眞一「旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)」

『日本の村という村、島という島を歩き尽くし、そこに生きる人びとの暮らしを正確に記録した比類なき民俗学者』である宮本常一と、財界人として活躍するかたわら、宮本ら民俗学者パトロンとして支援し続けた渋沢敬三。二人の戦前の出会いと交流、高度成長期へ向かう戦後の宮本常一の仕事を描いたノンフィクション。
佐野眞一さんの書く評伝には、いつも夢中にさせられる。
ダイエーの創業者中内功を描いた「カリスマ」、読売グループに君臨した正力松太郎を主人公とした「巨怪伝」、そして小渕恵三の凡人ならではの恐ろしさを描いた「凡宰伝」。どれも、主人公の人間としての面白さのみならず、彼らが社会と切り結んで影響を及ぼそうとする過程(とその哀しい一面)を冷静かつ迫力をもって書いており、複雑な気持ちにさせられる本ばかりだった。

本書は、著者がノンフィクションの書き手となる一つのきっかけである「忘れられた日本人」を書いた宮本常一を取り上げているだけあって、上で紹介した評伝よりも主人公への距離が近い感じを受ける。偉ぶらない姿で誰からも好かれ、しかしなかなか安定した暮らしができないまま、徹底的に足を使って話を聞くというスタイルで仕事に没頭していった彼への共感と尊敬がこの本を書く一つの原動力になったことは間違いない。
同時に、もう一人の主人公、宮本常一民俗学者を支援し続けた渋沢敬三の、日銀総裁、大蔵大臣にまでなった財界人とは思えない人間くさい姿が印象に残る一冊でもある。
家族に振り回され、一族の当主として学問を断念して生きざるを得なかった人生。でありながら家族とうまくいかず、戦後は、財産税の設立など自らとった政策の責任を感じつつ自分から没落する道を選んだ孤独な姿。一方で、銀行家ならではの人を見る目を持ち、多くの学者に仕事の斡旋と公私にわたる支援を惜しまなかった人間的な器の大きさ。
口絵にある渋沢敬三の写真…人懐っこい、柔和でまんまるな顔と風格のある体つきは、さまざまな人びとを惹きつけた、この本で描かれている人間くさい姿ととても合っていて納得できる。
学者は必ずしも最初から自分で生活を立てていける職業ではない。一つの分野を背負ったり、打ち立てていくような研究者になるまでには、引っ張り上げてくれる人間、生活面で助けてくれる人間がとても重要だ。それは学問上の師であるかもしれないし、親であるかもしれない。
この本を読んでいると、学問にあこがれと尊敬の気持ちを持っているビジネスマンや財界人が果たせる役割の大きさに気づかされる。金になるから、ではなくて、自分がいなくなったあとの遠い将来を見越して学問を育てていこうとできる気概を持った、かつ出せるだけのお金を持った人間がどれだけいるのか、これからどれだけそういう人が出てくるのか、考えさせられる。

もう一つ、二人の人生で面白いなと思ったのが、その思想的なこだわりのなさというか、広さだ。
渋沢家は徳川家から天皇家までとつながりがあったとともに、宮本らのさまざまな主義主張を持った、自分とは全く経済的にも生まれも異なる学者たちと終生つながりを持ち続けた。また宮本常一共産党員から地方の篤農家、極左から国粋主義者まで、誰とでも仕事をしながらも、『あくまで反体制の立脚点に立ってはいたが、それを一つのイデオロギーや党派性に収斂させようとする動きには敢然と歯向かった(p369)』。
二人ともに共通している、思想や身分に関係のない振れ幅の広さと器の大きさ。大きな学問上の仕事をなすには、その人の努力と才能だけではなく、他の人の意見を包括してしまうような人間の大きさというものがものをいうところも大きいのかもしれない。
最後に、渋沢敬三の、自分に言い聞かせたい言葉をひとつ。

「大事なのは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。」(p88)