久世光彦「向田邦子との二十年 (ちくま文庫)」

物知りで、古い言葉をこよなく愛し、他人の持ち物や面白い話を自分のものにしたがり、自分のことを棚に上げつつ楽しい嘘をつく…。
そんな向田邦子とともに仕事をし、彼女の話を聞き、一緒に語り、何かと持ち物をあげてしまい、そしてその才能を妬ましくすら思ってしまった著者。そんな著者が、自分より早くいなくなってしまった向田邦子について、『くどくど書く』エッセイ集。
『くどくど書く』気持ちもわかる。これだけ男気があり、しゃきっとしていて、かつ陰(かげ)のある魅力的な人間とともに仕事をした二十年があり、そしてそれが急に終わってしまったとしたら。悲しみをずっと抱えているとかいうのとは違うと思うが、その人との思い出はずっとくどくど書きたくなるほどのものになってしまうと思う。
僕とその仲間にも、そうなりうる女性がいた。生きていればきっと、仕事の話、家庭の話、昔の話、たくさんのくだらない話ができたはずだった。彼女は、向田さんの半分も行かない歳で死んでしまった。
とても悲しくて、それこそいろいろ書きたくなる時期もあった。でも、それを過ぎると、記憶は、薄れていく。彼女と一緒に過ごした時間は、その後の彼女のいない毎日で薄められていく。著者も、そのことをよく知っている。そして、その後も読者が増える向田邦子という人と濃い時間をともにした自分もいずれいなくなってしまうだろうことも知っていた。だからこそ、なるべく楽しかったこと、覚えておきたいことを書き残したのだろう。

彼女のことをよく知ってますよ、的なことを決して書かず、あくまで『ごく普通のつきあい』と向田邦子との関係を語る著者のさらりとしたエッセイは、ありがたいことに、生きている向田邦子を知らないその後の読者とファンに、これ以上ない証言となっている。
感傷的なエッセイのように思えるかもしれないが、内容はめっぽうおもしろい。
ドラマの主人公の名前をつけようと、梅干しなんかを食べながら原稿用紙に日本軍の昔の大将の名前を挙げていった秋の一夜のはなし。使い頃になった万年筆を、いい物だと目をつけて声をかけてくる向田邦子に思わずあげてしまうはなし。
どんなに親しい仲でも、夫婦ですら、意外と仕事をしているときのその人の姿はわからないものだ。悩みにせよ、楽しさにせよ、仕事のときの心持ちや生き方は家族や親友はなかなか共有できない。妹から見た向田邦子を書いた本と、仕事仲間としての向田邦子を書いた本の味わいがかなり違って面白いのも、こういうところに理由があるのだろうと思う。

向田邦子の青春―写真とエッセイで綴る姉の素顔 (文春文庫)

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向田邦子の遺言 (文春文庫)

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