石黒圭「文章は接続詞で決まる (光文社新書)」
目からウロコの接続詞講義。これは、ありそうでなかったのではないか。
接続詞は前の文と後の文をつなぐものです、というのが接続詞に関する普通な考え方だろう。例えば、著者が示す一般的な接続詞の定義は以下のようなものだ。
接続詞とは、文頭にあって、直前の文と、接続詞を含む文を論理的につなぐ表現である。(p27)
しかし著者は、接続詞は「とくに」「とりわけ」といった副詞や、「これ」「それ」といった指示詞との区別が難しいことを指摘する。また、接続詞は必ずしも客観的な論理に従わないことも示す。これは例があった方がわかりやすいので示すと、以下のようなものだ。
昨日は徹夜をして、今朝の試験に臨んだ。しかし、結果は〇点だった。
昨日は徹夜をして、今朝の試験に臨んだ。しかし、結果は一〇〇点だった。(p30)
前者は「徹夜をしたのだから点を取れるだろう」、後者は「取れないだろう」という前提があると考えられる。つまり、同じ接続詞「しかし、」を用いているのに、文章の意味合いは書き手の主観により変わってしまっている。
こうした例からわかるのは、接続詞をその形(例えば、文頭に来て、あとに読点がつく、など)や論理のみで分類したり捉えようとするのはおかしいということだ。
そこで著者は以下のように語る。
接続詞で問われているのは、命題どうしの関係に内在する論理ではありません。命題どうしの関係を書き手がどう意識し、読み手がそれをどう理解するのかという解釈の論理です。(p31-32)
ああそうだよな、と納得するばかりだ。英語の論文を書いたり、添削していても思うのだが、接続詞を含めた文と文をつなぐ表現は、ここは順接、ここは逆接…と機械的につけられるわけではない。書き手がどういう論理を紡ぎたいか、によって変わってくるのだ。
論文の添削は、明らかに間違っていて勝手に直せる場合もあるけれども、書き手の意図を聞かないとどう直していいかわからないときが多いのもそのせいだ*1。
逆に言えば、自分がどういう論理の流れで書きたいのか、どういう主張をしたいのか、ということに意識的になるならば、接続詞にもっと気を使うようになるはずである。この本は、そういう人のためにある。
役に立つのは、似た機能を持つ接続詞の、論理的に厳密で論文などにも使えるかそうでないか、主張が強く出るか客観的に見えるか、などといったニュアンスを細かく伝えてくれることだ。
例えば、「そのため」はレポートなどでも使えるが、書き手の顔が強く出る「だから」は適さないことなどは、なんとなくわかっていても、実際に例を多く出されて説明されると非常に納得できる。
もう一つ例を出してみよう。対立を表す接続詞である「一方」「それにたいして」「逆に」…などについて。「一方」は前後の内容が対立している必要がないため、相違点を示すのに他のものよりよく使われる、と書かれている。そして、だからこそ安易に使用されることも多い、とされる。確かに、「一方」は日本語でも英語でもあまりにもよく使ってしまう。
この例にもあるように、ただニュアンスを伝えて分類するだけではなく、安易に使用してしまいがちな接続詞に注意を促し、代用できるものがないか、省ける場合はないか、などについても書いてくれているところは実に親切である。
これまでにあまりなかった接続詞の詳しく、また実践的な解説が満載。文章を書く際に辞書のように手元においておきたい一冊。