黒木登志夫「落下傘学長奮闘記―大学法人化の現場から (中公新書ラクレ)」

大学法人化の3年前、岐阜大学の学長に就任した著者。東北大学東京大学などで研究一筋に歩んできた著者はまさに、「落下傘学長」。法人化という難問に苦戦を強いられつつ取り組む地方の大学で、仲間も少ないなかで、理解を得つつ奮闘していく日々をつづる。
大学法人化で何が変わったのか、などについて解説した本は他にもあるだろう。しかし、特にそうしたことに詳しかったわけではなく、現場で試行錯誤しながら取り組んだ著者の立場からの説明と提言は、現場感があってわかりやすい。さらには、学長になるまで研究一筋の方だけあって、データも豊富に、地方大学の苦境とウリについて書いてくれており親切である。
人件費を現場の納得のいくように削減し、他の大学との差別化を図るために獣医学科を充実させ、いち早く薬科大学と連携して生命科学と環境科学で個別化を図る。こうした、法人化したからこそ大学の責任でできるようになった改革について読んでいると、学長をはじめとするトップ集団がリーダーシップをとって大学の個性を出していくことがどれだけ大変で、しかし当たり前のように求められていくのかを実感する。
同時に、大学でやっていること、何が成し遂げられたのかを見えるようにしていくことが法人化で求められるようになった。それが、『大学を社会に開かれた存在に変えた(p95)』との提言は、実際にその場にあった著者の言葉として興味深かった。
実際のところは、大学はもはや社会に開かれていて、あらゆることで社会の目を意識しなくてはならないということは、学長などとは関係ない一人一人の教職員にはまだまだ実感がわいていないところもあるだろう。どれだけの大学にいる人がこのことを理解して動けるかがとても重要になってくるのだろう。

一方で、詳細な評価制度による疲労、じりじりと減っている予算など現場の困難な現状も、具体的な数字とともに読んでいるものに迫る。

最大の問題は、教育の重要性を理解せず、あるいはわざと理解しないふりをして、予算を削減してきた財務当局である。最前線で戦う兵士には、何よりも背後からの支援が必要である。もし、財務当局が、十分な予算の手当をしてくれたなら、日本の高等教育は法人化をきっかけに飛躍的に進歩したのではないかと思う。しかし、現実には、それとは逆方向に進み、教育と研究の現場で働く大学の教職員は疲弊し、戦線を縮小し、後退までも考えざるを得なくなっている。(p359)

上に書いてあるような現実の一例として、『地域医療の現場かつ最後の砦(p243)』である大学病院の経営危機と、医師や看護婦の勤務の過酷化についても一章が割かれている。また、トップの大学に集中する予算についても、大学ランキング、科研費と論文数、被引用数、COEの集中度などのデータとともに、「選択と集中」だけではない「寛容さ」が必要だと苦言を述べる。
こうして誤解を覚悟で声をあげてくれることで、地方の国立大学の状況とその存在の重要さがわかる。大学病院の存在、多様性を持った教育、地域の産業とのリンクなど、この本を読むだけでもさまざまな地方の大学の役割が見出されるだろう。しかしそれは、本書のような形であれ、誰かが現場の状況を表に出していかないと分からないところがある。著者も言っている。

学長としての経験から言えば、大学の教員に謙譲の美徳があるとは思えないが、政治家、官僚、企業人と比べれば、はるかに謙虚な人たちであるのは確かだ。大学の人たちは、もっと外に向かって発言しなければならない。(p294)

法人化前後の大学の様相を書きながらも、あくまで視線は未来に向いた、ポジティブな提言。大学の学長というもののお仕事の実際についても書いてくれており、そちらのほうもおもしろかった。

少し前にはてなで、2009-03-03という、あまりにも適当に大学の統廃合について考えた記事が話題になった。この本は、そういう議論をする際に一つのよりどころ、考える視点を提供してくれる土台になりうる一冊だと思う。ちなみに、その私案ではみごとに岐阜大学はなくなっている。著者が見たらどう考えるだろうか。