川喜田愛郎「生物と無生物の間 ウイルスの話 (岩波新書 青版 245)」

2008-01-22
だいぶ前になるが、この記事を読んで、ほほう、50年前とはいえ(だから?)今読んでも面白そうだと思っていたところ、しっかりと復刊されておりました。
元の記事で、『50年前の』とわざわざ書いてあるのは、昨年話題になったこの本とほぼ同じタイトルであることからきている。

50年前の、ウイルス学の最新の知見を紹介した本書。三部構成のこの本が出た当時の最も新しい話題は第三部「ウイルスとは何か」にある。この部分で著者が述べている、生きている細胞でのみ活動しうるウイルスを前にして、生物と無生物との間に明確な線を引くのは難しいのではという考えは、今でも決着がついていない。どころかここ数年、細菌に匹敵する大きさであり、ある種の細菌より大きなゲノム(=遺伝子1セット)サイズを持つとともに、不完全ながらタンパク質の合成に必要な遺伝子を持つウイルスが発見され*1、さらにそのウイルスに感染するウイルスが発見されるなど*2、ますます生物と無生物の境目はぼやけてきている印象がある。逆に、はっきりと生きているとされる細菌の中にも、ゲノムサイズも小さく、他の生物に依存しなければ生きられないようなものがいる始末である。リボソームという装置を自前で持ち、他の細胞に頼らずに自己増殖できるかどうかといったあたりが辛うじて境目となっていると言えるだろうか。
ウイルスが遺伝的な実体であるとの考えがはっきりとした50年前に、どのようにこの「ウイルスとは何か」「生物と無生物の間に線は引けるのか」との問いが発せられたのか、という歴史を知ると、この問いが未だに人々を引きつけている現在の状況がまた面白く思えてくる。知れば知るほど、分からなくなる部分があるわけで、それを繰り返し繰り返し少しずつ分かっていくのが生物の研究というものなのかな、と少し考えさせられる。
歴史の面白さという意味では、この本の第一部は第三部以上に今読んでためになり、面白い。
ここでは、黄熱病の例をはじめとして、ウイルス学の成り立ちに触れている。サルやネズミなどの適切な実験動物を発見し、接種法を確立し、50%致死量によりウイルスの定量法を見いだし、動物一個体でなくて組織でウイルスを増やす方法を開発し…というような歴史は、今では逆にあまり触れられなくなっているだけに興味深かった。自前で増えられ、従って栄養培地の上で増やせる細菌の研究とは異なり、ウイルス学がその進展にいかに困難と誤解を抱えていたかがよくわかる。その歴史の中で、「生細胞内でのみ増えられる」「(あとからわかるのだが、遺伝的な)系譜があり、偶然には発生しない」という今でも通用するウイルスの性質も示されていく。実にうまい流れで、勉強になる。
黄熱病の研究を進めながらも、ウイルスという存在を知らないままアフリカで命を落とした野口英世や、動物実験の系を確立しウイルス学への道を開きながらも同じ黄熱病で亡くなったストークスら、命の危険を冒して研究した数々の先人がいて、今がある。研究が進めば進むほど、古典的な研究を確立した人々の工夫や苦労は紹介されなくなっていくのだろうが、この本は、それらを50年後の人が読んでも面白く残してくれた。復刊されるのももっともな一冊である。