川本三郎「向田邦子と昭和の東京 (新潮新書)」

けっこう、本はしっかり立ち読みしてから買うほうだ。しかし例外もあって、落語のことを題材にした、もしくは書いた本、そして向田邦子のことを書いた本に目がない。これもあまり中身を読まずに思わず買ってしまったうちの一冊。
使ったことば、描いた食事、そして父のこと。いくつかの視点から向田邦子を読む。さまざまな面から読んでみると、『昭和の子』である向田邦子の姿が浮かび上がる。
これまでに回想本や本人の本に書いてあることが多いが、話題のまとめかたがうまくて、面白く読ませる。
何冊か読むとわかるが、彼女の小説は、父を描いたほほえましいエッセイとは少々趣が変わってくる。短編であれ長編であれ、決してつつましくうつくしい人間の姿ばかりを描いているのではない。どちらかといえば、つつましく暮らしている人間の隠れた秘密だとか、怖い部分を書いていく。ある意味現代のホラーである。
この本でも、一章を割いて向田作品に描かれる秘密と嘘について考察している。彼女がそういったテーマをよく扱うことについて、あまり考えたことはなかったが、以下のように書かれてみると、なるほどそういう考えもあるかと思った。

…確かなのは、向田邦子の「おんな」嫌いがここでもはっきりあらわれていること、また、向田邦子が家族のなかの秘密と嘘に敏感であることだろう。普通の女性のなかにも、「おんな」を見ざるを得ない。秘密の匂いをかぎとらざるを得ない。(p138)

著者のこういう読み方は極端と言えばそうかもしれないが、向田邦子は、自身は典型的な昭和の幸福な家庭に育ちつつも、テレビや小説の仕事をばりばりやり、「普通の家族の生活」から距離をおくなかで、少々冷ややかな目で家庭のなかにいる同性の姿を見るようになったのかもしれない。
もちろん、あくまで小説として書いていただけ、という考え方ももちろんあるし、どちらかといえば読み終わった今もそう思っている。しかし、著者による、向田邦子の『「おんな」嫌い』説は、彼女の小説をますます怖いものに感じさせそうな気がしてならない。
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