今橋映子「フォト・リテラシー―報道写真と読む倫理 (中公新書)」

「事実をありのままに切り取る」と我々が思っている写真。しかし、写真の成立が人類の歴史上それほど昔のことでなかったのと同じく、そうした考え方自体も実は、近年(約半世紀前)にはじめて現われたものだった。
テレビ番組などの視聴にあたって「メディア・リテラシー」という言葉が良く使われ、その重要性が強調される。この本では、文字媒体を除き最初に誕生した映像媒体である写真を取り上げ、その見かたについて考えている。

最初からアートを目指している写真を一応考慮の外に置いても、報道写真においては今なお「報道か、アートか」という根源的問題が、くすぶり続けている。従って私は「フォト・リテラシー」を、芸術史的理解までをも必須のものとして含む、特異な領域として提示したい。(p7)

序章に書かれたこのような現状を踏まえ、芸術的面も理解したうえで「リテラシー」、つまり写真の見かたについて考えていこうとする試み。
この、芸術も含むものとして報道写真を捉える、という視点が、タイトルからすると堅苦しくなりそうなこの本をとても面白くしているように思った。社会学的な、かちかちした倫理をひたすら考えていくのではなくて、むしろ一つ一つの写真と、それを撮った写真家たちについて語ってくれるので、写真を見たり、芸術観賞が好きな人におすすめできる。
写真家もまた、成り立たせたい生活があり、自分の表現したいものもある。時代の求めるものがあるところなども、音楽家など他のアーティストと同じである。そうした、芸術を志向しつつも現実の生活をも背負った写真家たちが、どのような時代の要請でどのように報道写真を撮り、ジャーナリズムに関わっていくのか。一人一人の写真家たちの追求したもの、考えたことを紹介しながら、その写真の撮られた時代、撮られた背景についても読者に提示していく。パリを中心としたこうした写真家たちの姿をいろいろ知っていくことは、とても面白かった。
そして、こうしてさまざまな報道写真に触れていくことで、『一枚の写真に、完全に「正解」の読みは存在しない(p45)』ことや『つまりアート/ジャーナリズム/コマーシャリズムの境界はきわめて曖昧なのである。』ということがわかってくる。この本を通して、必ずしも「事実をありのままに切り取る」だけが写真ではないのだとわかったことは、自分にとっては、逆に写真の見方を面白くしてくれたと思う。どういう媒体に載ったものなのか、どのような写真家によって撮られたものなのか。どのような意図で展示されているのか。…さまざまな側面から写真を見ることで、いっそう写真の可能性と面白さを感じ取れるだろう。
フランス文学を元来専門としてきた著者が、おそらく魅かれてきたであろうパリの写真を中心にして、写真の読み方、ジャーナリズムの歴史についてまとめた初の新書。概要をまとめた序章、かっちりと濃密に並べられた引用文献からもわかるように、力が入っている。中公新書の王道のようなアカデミックさにあふれた、しかし読んでいてひきつけられる魅力を持つ一冊。
わたくしごとだが、著者にフランス語を学んでいたことがある。そのことをちゃんと覚えていたおかげで、常にチェックする本屋の新書の棚ですぐに著者の本に出会えた。まったく自分の進んだ分野とは別ではあるが、世界はこうやって少し広がっていく。この出会いを嬉しく思う。
その後いろいろ見ていると、以下にすばらしく丁寧でためになる書評を見つけたので、こちらもぜひ見て欲しい。
「フォト・リテラシー 報道写真と読む倫理」 - 絶倫ファクトリー

ただ新書で分量が限られているため、サブタイトルにある「倫理」にまでは深く突っ込めていなかった。

逆に指摘されているこの点が、この本を手に取りやすくしていると思う。もちろん、完全に触れていないわけでもなく、考えさせきっかけとさせてくれる。その塩梅がとてもいい。タイトルで敬遠する人がいるかもしれないが、実際の写真も満載されており、写真やアートに興味のある人にぜひ手にとって欲しい。