平安寿子「くうねるところすむところ (文春文庫)」

単行本が出ているときに「これ読みたいな」と思った本は必ず思い出す。もはや特技と言ってもいいくらいだ。この本も、文庫新刊で平積みになっているのを見て、ああこれそういえば、と購入。おもしろかった。タイトルが落語にちなんだものである時点で面白くない本はないのだ、と言い切ってしまおう。
しかしこの物語には落語家は一人も出てこない。退屈なバイト情報誌の編集者から土建屋になった主人公の、とても華麗とは言いがたい仕事への突撃っぷりを実に面白く読ませてくれる。
都会の、半端な収入の人間にとって、自分の家を建てることは賃貸に住みつづけることに比べてあまりお買い得でないことはよく聞く。それでもこの本を読むと、自分の家があってもいいかもなぁと思ってしまう。そう感じさせられるのは、できた家のよさ、というよりは、作っていく過程のよさ、なのだが。その家を作っていく過程には、施主と土建屋、職人さんの間でごたごたすることも含まれていて、そのあたりが大変そうながらもとても希望のあるものに描かれている。だから読んでいて疲れないのである。
と同時に、主人公のような現場にぴったり張り付く立場のものと、もう一人の主人公とも言える土建屋の女社長の立場という二つの立場の女性の感覚が並行して見えてくるのも物語に起伏を与えていて面白い。
また細かいのだけれど、土建屋のダメ社員がコミュニケーション不足で仕事がうまくいかなくなっていく様子、それをフォローする主人公の行動や会話などはなかなか現実にありそうな感じ。そのうえ、主人公の立ち振るまいは、ストーリー上そうであるところもある大胆さと比べると実に繊細で気遣いがあり、共感しやすい。筆者の経験や仕事の仕方などを反映しているのかもしれないが、この細かさがまた、よい。