坪田一男「理系のための人生設計ガイド―経済的自立から教授選、会社設立まで (ブルーバックス)」

前著『理系のための研究生活ガイド』がなかなか面白かったので、新刊を読んでみた。
研究生活に入る前の学生や、入ったばかりの院生ならともかく、こういう本をいまさら読んでもためにならないのではないか、と自分でも思ったが、アクティブに活動する研究者の人の発する言葉や心構えは、何人から聞いても無駄になることはない。
この本でも、留学に関するアドバイスや、自分の生活のため、もしくは研究のための経済的基盤を築くためのアドバイスなど、一人の成功した研究者の経験から書かれており、非常に有益だ。しかし、それはまあ、ボスやらビジネス書や、他の研究者のエッセイなどでよく聞く話と言えばそうだ。
この本で書かれていることで、他の本ではなかなか見なかったな、と思ったのは、『研究者はインフラを整備すべし』というアドバイスだ。ここをおおっぴらに書こうという人はあまりいなかったのではないか。
大学や研究室など、既にある研究環境を自分のものにする。それだけでもものすごくたいへんなことだ。しかしそれで満足し、依存していては、将来的に任期制が導入され、またますます競争が激しくなる業界で一生やっていけないかもしれない。
だからこそ、自分の研究を大きな視点から見て、会社や学会、非営利団体やクリニック(医者の場合)を持つことが将来の研究生活のために大事なのだ、と述べる。そのために、自分でできないことはできる人を探せばいい。自分でできる範囲のことだけをやろうとすると、確かに研究ならできるかもしれないが、それではインフラのほとんどを自分の所属する組織に依存することになる。

一人ひとりの能力は限られているので、一人ですべてを行うことはできない。人間として、ソーシャル・キャピタルを増大させて、環境を整備し、仕事の能力を高める方法こそが大事なのだ。これは単に人脈を増やすとか、友達を増やすという以上に基本的なフィロソフィーの問題でもある。自分だけですべてをやっていけると基本的に考えているのか、やっぱり仲間と助け合って生きていくと考えているのか。(p87)

『インフラの整備』と関連してくるようなこのアドバイスについても、研究生活に入ったばかりの人をターゲットにした本にしては少々視点の長いものに見えるが、これが書かれている意味は大きいと思った。
実際、外国の研究者でも、日本のできる研究者でも、自分の研究を発展させていく過程で自分の研究室をもう一つ立ち上げたり、会社や学会を作ったりするのはよく見ることだ。ただ、そういう人を「研究をおろそかにして政治に力を入れる人」と見てしまう風土があったりして、積極的に自分のインフラをもとうぜ、研究以外の大事なことがたくさんある、と書くのは、勇気がいることだったのではないかと想像する。
この本では他の箇所でも書いてあるが、『研究者は研究に没頭していればいい、というわけではない(p19)』ということをしつこく述べている。ストイックさばかりがあっても、そしてどんなにすばらしい研究を、文句のつけようがない筋道でおこなっても、それを支えるお金や人がなくては、研究は続けられないということだ。
こういう研究のある意味「ベタな」側面は、特に大学にだけ頼れるわけではなく、ポストもお金も限られてくるこれからの時代は、ますます重要になってくるだろう。しかし、研究の道徳性やまっすぐさを第一にする精神は、研究者になりたての院生にですら深く根付いていたりする。研究とはそういうものなのですよ、という潔癖主義がポスドク問題の源流の一つなのではないかとすら思える。そうした風土の中では、こういう本に書いてあるような「研究と関係のないようにおもえる」ことは、あいかわらずおおっぴらにはやりにくいし、それが大事だとも言いにくい。立派な研究成果も出ていないのになにを偉そうに、という声が聞こえてきそうだからだ。この本だって、研究の合間にたくさん書いたうちの一冊に過ぎないだろうとか、世俗的だとかと言われかねない。
そういう状況のなか、大事なことを大事だとはっきりと、こういう手に取ってもらいやすい新書で真っ正面から書いたこの本は、なかなか挑戦的なものだと思った。一人一人の研究者が、自分がひとまず研究ができればいいという気持ちではなく、自らの(そして後輩のための)インフラを少しでも整備していこうという気をもって、そのために時間を割いて取り組むこと。大学に残れれば一生安泰、ではなくなってくるだろうこれからはこうしたことを実践する人も増えてくるだろうし、徐々に科学研究のパイが広がって、その成果が見え始めたときに、ポスドクや大学を巡る状況は変わっていくだろう。「研究に純粋に取り組んで、成果さえあれば生き残れる」と思っていてよい時代は終わったのだ。