自由な研究をするための、シェアのすすめ

プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ - ミームの死骸を待ちながら
科学者は、プログラマーほどいろいろ手軽に面白そうなこと、やってみたいことを試せないのではないか?もっと、誰もが自由に「生命をハックできる」ようにならないか、という面白い提言。
触発されて、前にも少し書いたのだけれど(http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20080103)、いつも考えていることを書いてみる。

生命倫理が大事なのは当たり前なので、それを守った上で、という話をする。というのも、バイオは生命倫理があるせいでつまらないのではないのではと思うからだ。
元記事の方が考えた、なぜバイオではプログラマーほど勝手にいろいろやって発明してしまうような天才が現れないのか、という原因のうち、一番ひっかかったのは次のものだ。

楽しみながらあれこれ試す風習がない、その基盤が未だない

これは、科学者の、そしてそれを目指す人のマインドによっている気がする。多くの人は、「筋が通っていて、一歩づつ次の段階へ進んでいく」研究を好んでいる。あれこれ試したりしたあげく、自分のキャリアに一貫性を持たせられないことを嫌うのだ。
そういうマインドになってしまうのはもっともでもある。もし、あれこれ試してもこの世界でやっていけるだけのお金やポストや支えてくれるものがあればいい(それが「基盤」なのだろう)が、それがないというのが最大の原因だ。

実際は、天才が現れるかどうかは、小さい頃からの教育というよりは、研究室に入ってから、その創造性が開花するということのほうが多い気がするのだ。そして、今の普通の研究室では、一貫性のある研究を一通り進めて、いい雑誌に載せて、研究者として立つことをまっすぐに目指さざるを得ない。それでは、さすがに天才はでないだろう。あれこれやってみるわけにもいかない。

もちろん基盤(バイオ産業の振興)が先にどうにかなることがいちばんいいのだろうし、そういうコメントをしている人も多いが、待っていてもしょうがない。それまでもうらからない研究は一切やらないほうがいい、なんてわけにもいかない。

ではどうすればいいか。一番いいのは研究室内で、だと思うが、チームでデータや実績をシェアしあえばいい。そして、できるならポストやお金を融通しあえばいい。もちろん、若干誤解を生みそうな表現だし、システム上うまくいかないことも現状ではあるだろうが、いいたいことは、自分が自分がと一人で成功することを目指すのではなく、集団として成功することを目指したほうがいいのでは、ということだ。データが出たら人にわけてみる。余裕のある時間であれこれやってうまく行きそうだったら、他の人のデータと合わせて、何か大きな話にならないかを考える。データがでないときは、他の人の結果を借りて持ち上げてもらったり、しのぐこともできるだろう。
そうやって相互扶助のシステムを研究室やチームという小さな単位でもいいから作れば、サブテーマを二つ三つくらいもってやっていくことも十分に可能だ。そんななかから、面白い結果や新たな展開につながる発見が出てくるかもしれない。どんな会社でも、メインストリームのプロジェクト以外から、会社を新しい方向に導くような展開が生まれるものだ、というのはよく聞く話だ。

だいたい、バイオ系の研究者は、あまりにも、自分のデータは自分のもの、と考えすぎるのではないだろうか。せめて、自分の仲間とだけでもいいから、シェアして、互いにああだこうだと助け合いながらやっていくこと。その過程で多少自分を犠牲にすることがあってもいいだろう。そうしながら、協力して作った時間を、少しでも分野を広げ基盤を作るために割くことで、徐々にアカデミック発の基盤が増えていく。

もちろん、自分で一貫性を持たせられない辛さ、自分の結果が自分のものではない気持ち悪さを感じる人はいるかもしれない。しかし、この時代、研究者とはいえ、そんなことではさすがに考えが古すぎやしないか。自分の出した結果は自分のもの、という実力主義に引かれる人は多そうだが、いまどきどんな実力主義な仕事でも、そうすっぱり割り切れるものではないだろう。
一人一人がそんなことをいっていては、いつまでたっても、みんなが好きにやっていけるような基盤はできないのではないかと思う。