三浦しをん「夢のような幸福 (新潮文庫)」

あやつられ文楽鑑賞』刊行記念のイベント(http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20070730/p1)ではじめて目にした著者の、着物で、落ち着いて清楚な雰囲気を思い出しながら読むと、このエッセイのあまりのくだけぶりがとても面白かった。
本を愛し、あれこれ好きなものを語る著者は、ひとたび面白い、これはいい、とのめり込むとそれについて語るテンションがどんどん高くなっていく。でありながら、読者を置いていかない丁寧さがさすがにプロである。そうした日々の観賞記録の文章だけでなく、旅先での出来事を記したものもまた跳んでいる。温泉街で見つけた、本が日に焼け建物も崩れそうな古本屋のたたずまいを興奮しながら語るその口調や、テレビや日常の話について友人や弟さんとバカ話をするその内容もおかしいことこのうえない。こういうふうに日々暮らしたい、と羨ましくなってしまったりもするが、そうした日々の中に垣間見える、売れっ子作家が仕事に追われる風景にもまた興味津々である。
初めて著者のエッセイを読んだが、このくだけた感じを含めてファンなのです、という人もさぞ多いだろう。
映画や本を、くだらない(面白くない)ならくだらないなりに、実は面白いのかもしれない…と思わせるように半分茶化して紹介するサービス精神はぜひ見習いたいと思った。
そうしたおかしく読める一冊でありながら、いや、だからこそ、『なぜ私はこんなしょうもないことを記録してしまうのか』について思い返すように書かれたあとがき(特に文庫版の)が、実に味わい深い。…文章を書き、記録したのは確かに自分でありながら、あとで読み返すと自分のものでないような感じ。多くの人が、なんのためになされるかわからないような、個人生活の記憶を毎日淡々と続けている。そうした、突き放して見ると『さびれた感じ(p298)』にすら思える記録という行動。それでも、著者のように、人はしょうもないものも含めて、自分の行動を記録してしまう。最後の最後で少し不思議な思いにかられてしまった。
この人のエッセイ、確かに癖になりそうだ。