田嶋幸三「「言語技術」が日本のサッカーを変える (光文社新書)」

ワールドカップの予選が始まり、ナショナルチームの勝敗に一喜一憂する時期になった。個人的には、サッカーが強かろうと弱かろうとたいした問題ではないが、一時はオリンピックで銅メダルを取れていた日本サッカーが、なぜこうも長い低迷にその後陥ったのかはずっと不思議でならなかった。
著者は、日本サッカー協会の理事であり、若手の育成をいかにするか、ということに長年関わってきた指導者である。この本では、日本サッカーの低迷は、ひとえに言語技術のレベルの低さにある、と言ってしまっている。いい指導者を得て五輪で3位に入れるほどに一時レベルアップした日本サッカーは、その後その技術と経験を伝える言語技術をもたなかったのだ、と。
なるほど、と思った。偉そうな言い方になってしまうが、いい目のつけどころだ。チームスポーツは特に頭の良さが重要だ。どんなに運動技術があっても、研究と機転がないと一流にはなれないのは野球の野村監督がいつも言っていることであり、古田さんらが体で示してきたことだ、と素人目には思えるからだ。
サッカーだって同じだ、と著者は述べている。なぜパスをしたのか、なぜシュートをうったのか、狙いを言葉ではっきり説明できるか、主張できるか。練習でボールに触れる一回一回の機会に、狙いをもって試行錯誤してみること。駄目なら別な狙いを考えて実践してみること。その繰り返しがサッカーがほんとうにうまくなるための方法なのだという。これを著者は、海外のサッカーの教育の場を見て実感し、日本で実践しようと考えた。
これが既に動き出していることは喜ばしいことだ。サッカーのエリート教育、中でも論理性や言語技術を軸に据えたJFAアカデミー福島は2006年に中学校1年生を受け入れたばかり。この著者の考える理想のサッカー教育を受けて育った選手が表舞台に出てくるのは2010年過ぎか。すぐに結果が出るわけでもないかもしれないし、「このように教育をしたい」「こうよくしたい」という哲学を持って選手の強化に臨み、実行に移すのは勇気がいる。賢い選手こそが世界に通用する選手になりえるのか。
穿った見方だが、この本を読んでみると、中田英寿が代表のチームでイライラしていたような様子を見せていたのは、あまりの日本の選手の論理性のなさ、言語的伝達の少なさもしくは欠如にあったのかもしれないなどと思えてしまう。
真にクリエイティブなチームワークが、いかなる基礎のもとに成し遂げられるかを考えるうえで示唆に富む本。サッカーに興味がなくても、ビジネス書としても面白い。果たして、この試みがどういう実を結ぶのか、注目したい。