梅田望夫「ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)」

実はすでに昨年秋ころに読み終わっていた。しかし、なんやかんやで読んだ感想をまとめずにここまできてしまったので、年始だからこそさらっとでも読み直して感じたことをまとめてみようと思い立った。

前作などを読んでいて感じた違和感などが綺麗に解消した思いがする。すなわち、「ウェブ進化論」を読んで印象として感じたことは、ウェブで新たな世界が開けること、新たな仕事が増えていくこともわかったが、そういった新しい仕事を志向する人ばかりではないのではないかということだった。普通の大きな企業に勤めて上を目指す人、つまりは「渋滞を若干の我慢をしながらでもなんとか突破しようとする人」はどうあればいいのか、という疑問が残っていたのだ。
実のところは前著までに書いてあったものを読み落としていただけなのかもしれないが、本書では、この個人的な疑問がすっきりと書かれていたように思った。
もちろん、著者が語りかけるのは主として、そうした大企業で息苦しさを感じている若い人である。しかし、自分の身の回り(大学という「古い大組織」で研究をする仕事をし、もしくは修行中の人)を見回してみるに、息苦しさを感じるような人はさっさと出て行きベンチャーをやったり、小さな会社で自分の力を試そうと早くから動いている。彼らは早くから人脈作りなどを意識的に行い、渋滞に突っ込んでいる人を傍目に見ながらけものみちを歩んでいる。著者が応援しているような、けものみちを歩んでいく生き方は、少なくとも大学という場では、意識を強く持った多くの若者が実践し始めているのだ。
むしろ、僕がほしいと思ったのは、息苦しく渋滞もあるかもしれないが、確信を持って渋滞を突っ切ろうとするものへのメッセージだった。僕もそういう志向で動いているし、そういう人間にシンパシーを感じてともに仕事をしているので思うのだが、彼らは決して盲目に渋滞にはまりこんでいるのではない。ここは厳しくても超えていくべきだ、超えればこそできる仕事がある、という気概を持った人ばかりである。
そして、本書の実にバランスのとれたことに、梅田さんは、決して、若いなら「新しい仕事」にチャレンジすべきだと断言してはいない。自分の志向に意識的になれ、と言っているだけなのである。ロールモデルたる人間を見出し、自分の志向を細かく意識していった結果、大組織で働くのが向いているのだと思うのならそれはそれで生きる道なのだということをはっきり書いてくれている。
特に、三十歳から四十五歳までの十五年間で、『「大組織のプロ」を目指す覚悟と資質があれば、迷いなく上手にその十五年を過ごし、大組織でしか学べないことをしっかりと時間をかけて身につけることができる。…(中略)…大組織でしか磨くことができない専門性は枚挙にいとまがない。社内の可能性空間を眺めて、自分の志向性にあった「大組織のプロ」を目指せばいい。(p190)』とあるのは、自分だけではなく、この年齢で大企業(的組織)においてプロを目指す多くの人にも励みになる一節だと感じた。
要するにウェブをどう使うか、どう関わっていくかは自分の志向と覚悟しだいなのだ、という著者の言いたいことが、大組織と「新しい仕事」を併記して細かくそのモデルを示してくれていることで、この一冊ではよりクリアに感じ取られた。どんな生き方を目指す人にも、自分にひきつけて読むことができる普遍性がこの本の最大の魅力であるように思えた。「古い職業(大組織)」における生き方について、しつこいがもう一節。

…そちら(「古い職業」)を志向するという自らの傾向を確信し、そこでしっかり生きていくことに意識的であれば、「古い職業」の可能性空間はこれからも莫大だ。そこで「飯を食う」安定を確保した上で、「もうひとつの地球」と関わっていく生き方は、これまで通りあり続けると思う。(p204)

大学で研究をすることは、もっとも古く非営利な「パブリックな仕事」のひとつだと思う。もちろん競争が激しく、自分の立場など安定といえるかはわからないくらいのものだ。それでもひとまず「飯を食う」ことができているのは、自らその「古い職業」を切り開いてくれた先人のおかげである。それに感謝しつつ、自分の志向を確信しつつ、「古い職業」と「もうひとつの地球」の接点を見出していくような、古い職業と呼ばれるものを新しい職業へと組み替えていくような、そういう仕事の領域を開いていければと思う。「古い職業(大企業)」と「新しい職業」の違いは、実は未来ではそれほど大きなものではないのかもしれない。そうなったときに古い世界にいた強みを持てるように、むしろ自ら違いをなくすような方向にもっていけるように、学んでゆきたい。
現在考えて実際に試行錯誤しているのだが、研究という古い仕事でも、働き方、ものの生み出し方としては新しくしたい、と思っている。一人一人が自分の世界にこもって自分の成果を求めるのではなく、互いに「最近どうだい」と声を掛け合い、情報を共有すること。自分の仕事ではなく、チームとして大きな仕事をしていくこと。一人の成功ではなく、チームとしての成功を目指すこと。
知の共有化が進んでくると、一人一人が自分のテーマに集中する時代から、チームのすべてのテーマに関心を持ち、それぞれがボスのように創造的に研究をしていく時代へと変わっていくのではないかと思っている。実際のところは一人一人が渋滞を抜けることに精一杯で人のことを考えるのは難しいのだが、しかし、そういう研究のしかたを目指していかねば、大学は古い職業として埋もれてしまうだろう。一人一人が自分のことだけを考えるのではなく、互いに(生活も含めて)困ったときにカバーし合えるような研究のしかたへ。研究のスタイルが大きく変わる、その境目に立っているのではないかと感じている。知人には、いつまで古いところで突っ立っているのだと言われることが多いのだが、だからこそできる可能性に賭けたい。
いやおうなく自分のやっていることにひきつけて考えさせられるのがこの本であり、今まで書かないでいたことを書いてしまった。しかし、どんな仕事をしていようとも、古かろうが新しかろうが、時代はどんどん変わっていく。ただ自分の将来の仕事がそこに同じようにあることを無自覚に想定して何もしないのは怠惰である、というのがこの本から受け取ったメッセージである。確かに成功には時間がかかる。しかし、だからこそできること、磨ける自分がある。