海堂尊「死因不明社会―Aiが拓く新しい医療 (ブルーバックス)」

おどろおどろしいタイトル。表紙は黄色だがれっきとしたブルーバックス
帯にあるように、「このミステリーがすごい!」大賞作家が現代医療についてまわっている問題を提起するノンフィクション。そのミステリー自体は読んだことはないのだが、実に興味深い内容。
人間が生きている間は、もし医者が親切ならば、CTなどで徹底して原因を調べ病巣を突き止めようとしてくれる。では、死んでしまえば原因はわからなくていいのか。…そんなことはない、当たり前だ、と思っていたがそうでもないぞ、というのがこの本。
死んだら誰もが病名をつけられる。「〜のため死去」となる。しかしこの亡くなった原因というのは、あんがい適当につけられているらしい。ほとんどの場合、人は病院でなくなっても解剖されないが、そのとき下した判断が、解剖してわかる判断と異なる確率が10%以上あるとのこと。ある意味、死因は経験と見た目から言い方は悪いが「適当に」判断されているのだ。
それは理不尽だ。実際読んでみてほしいが、みなさんはこの事態をどう思うだろうか。
本書の中に書いてあることのうち、自分がこの本を読んで、「死因不明」では駄目なのではないかと特に強く思った理由は大きく二つある。
一つは、心情的な問題だ。例えば一人暮らしで家で寝ている間に亡くなった、とか、そういうことは十分にありうる。実際、昨年一人大学の同級生にそういうことがあった。もちろん、よほど親しかったり、家族でなければ死因などなかなか伝わってくるものではない。
けれども、では、家族などには、本当にそういう少し不明な死に方をした場合の死因というものが、納得のいくように伝わっているものだろうか。家族の気持ちの問題もあり、解剖まではさすがになかなかしないのではないか。本当の原因はなんとなくで済まされているケースが多いのではないか。そして実際、そういう危惧はこの本でも示されている。
家族でなくても、知人や友人のレベルでも「なぜなくなったのか」がわからなくて納得のいかない、気持ちの落ち着かない場合があるというのに、家族のレベルでもいまいちわからないことがありうるのが現状とすれば、それはどうなのだ、と思うのだ。例えば、遺族には、もっと治療できなかったのか、早く発見できなかったのか、という思いも生まれるだろう。それに答えるのは医者としてのつとめではないのか。
もう一つは、科学にたずさわり、それがどういうものか些細だが知るものとしての納得のいかなさだ。死因をはっきりさせることは、自分の不手際があきらかになったり、発見できなかった病因が理由だとわかってしまったり、医者には辛いことが多いかもしれない。しかし、死因さえわかれば、他の医者にその状況をフィードバックして、次には同じ症状の人を救えるかもしれないではないか。医学も科学のうちならば。死亡時に死因を確かめるのは当然だ。本書では、この科学的に自明な考え方からも、死因を不明にしておくのはおかしいと実に真っ当な主張をする。
この事態を解決することこそ、医療を受ける市民に利益をもたらすのだ、と著者は一冊を通して訴え続ける。細かい理由もあろうが、この大所に立った広い目で見ての主張は非常に筋が通っていると感じられた。
解決法もまたシンプルで、亡くなったらすぐに、CTやMRIなどで体の中の様子を知り、必要なら必要な部分だけ解剖をして、死因をはっきりさせる、ということだ。そしてそれを集中管理して、将来の症例に役立てる。…なんとまっとうなんだろう。そしてなぜこれができていなかったのだろう。そのあたりの歴史的、社会的な事情も語られるのが本書の面白さ。
最後まで読むと、この著者の提案がすこしづつ形になっていることがわかってほっとする。ブルーバックスだが全く難しいところはないし、内容豊富。
お医者さんのドラマが好きな人にも手に取ってほしい、力の入った一冊。