佐藤優「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)」

文庫化。はやい。文庫になったらすぐ買うぞ、と密かに決めている本というのは、心の表面には上がってこないもののけっこうあるようだ。「あ、これは買うんだ」と文庫の棚に並んでいるときにすぐに感じるのである。
というわけでこの本。外務省でロシアとの外交、北方領土返還交渉に携わった情報屋の著者が、なぜ逮捕されることとなったか。鈴木宗男田中真紀子の対決の舞台裏にうごめく大きな力に翻弄されることとなった著者が、取調べ中の孤独の中で、実に強靭な思索力とともにその真相を一気にまとめた数年前の話題作。さすがにこれは面白い。
本書でその世界を垣間見せてくれる国家外交というものは、ただ儀礼的に物事を進めたり,交渉力だけで全てをまとめられるわけではない。相手の国や歴史、現状の動きをとことんまで勉強し、情報を収集して相手と対峙するのである。著者と、その盟友である鈴木宗男は自らの信念を持って、ただ身を国益だと彼らが考えるところに従い動いていくが、その裏にある勉強量、情報収集量、分析量は並ではないのだろうと思わせる記述があちこちに見られる。政治とか外交こそ、一番勉強をして、それに敬意を示さねばならない仕事なのではないかと考えさせられた。と同時に、勉強だけでなく、その勉強をしていく際の立ち位置や思想、さらには相手との信頼関係が重要であることもまたその然りである。プライドなどないと書く著者の、プロとして精一杯やることはやったのだ、という誇りがほのかに感じ取られるのがいい。
そうした前半の外交という仕事の日常とともに、後半の取り調べの実態もまた実にスリリングで面白い。国家の思惑を取り調べの中で実現させようとする西村検事と、「やっかいな被告人」である著者との攻防戦。取り調べる側と取り調べられる側に、これだけの情報交換とやりとりがあるのだという事実に驚く。結果がわかっている(と本書では書かれている)裁判でもこれだけの互いの考えがあって、成立させようとする妥協点がある。歴史に真相を残そうとする著者の頑固な、とも言える信念があってこそこのようなやりとりになるのももちろんだ。しかし、ベタな感想だが、この本を読むと、裁判や取り調べというものを見る目が変わるのは間違いない。捕まえた側に正義があると思ってしまう裁判においてすら、実際のところどのようなやりとりがあるのだろうか、と思わず考えてしまう。

それにしても悔しいのは、これを書く前に川上弘美さんの書いた解説を先に読んでしまったことだ。これがあまりにもよいのだ。明晰で、過不足なく、感情にも過度に流れず、本の内容と面白さを伝え、かつ個人的な思いや気に入ったところをさらっと挿入して読ませる。本を読んで人に紹介したいときはこのように書きたい、と見本にしたくなるような名解説。
本書を読み終える前に、ああいうことを書こうか、あの人のことを書こうか、などとふと思ったことが、ぴったりした言葉できれいに書かれている。しかも、小難しくなりがちな解説で、本自体も少し難しいというのに、実に平易で読みやすい。この本を読もうかどうか考えている人は、ぼくがこれだけごてごてと書いてきたことなど読むまでもなく、この解説を立ち読みすべきだ。