山田史生「日曜日に読む『荘子』 (ちくま新書)」

孔子老子に比べるとその知名度は低そうな荘子は、中国の思想家である。こう書いていながら、自分でも彼がどのようなことを言った人なのかほとんどわからない。
ただ、ヘンな人だということはわかる。この本も、荘子の思想を紹介しながらも、例え話は縦横に広がり、まるで禅の公案のような問答が繰り広げられる。中国哲学を生業とする著者は、酒を飲みながら日曜日に荘子について語っている設定だが、ほんとうに酒を飲んでしゃべっているかのようにその口は滑らかだ。
なぜ私にとってこの世界はリアルなのか。なぜ自分の世界は他の人の世界とまったく違う唯一のものなのか。この著者の根本的で難しい問いに、完全にかはわからないが答えようとするのが荘子の「相対主義」である。
何が良いか悪いか、正しいか正しくないか、を決める絶対的なものさしはない。人と自分は違う。このことは多くの人が当たり前だとし、わかって生きているようでいて、実に奥が深いのだなと改めて思った。ついつい、人間は何か絶対的なものさしを求めてしまったり、人と自分が同じようなことを考えていると仮定してしまったりする。そのほうが生きていくには楽な考えだからだ。
著者が紹介していく荘子の考えのように、絶対的なものさしはないのだ、としっかりと認め、それを身をもって示しながら生きるのはとてもしんどいことだ。自分がなくなってしまうような自己否定は、なかなかできるものではない。でも、そのくらい自分をなくしたところから生まれてくる強靭さと自由さがあるのだろう。…あんがい、人はとことんまで自由な心で生きられてはいないのだ。簡単なようでとても難しい、自由な心で生きること。そうできるきっかけをこの本は与えてくれる。
はっきり言って、読んでいて頭がわからなくなってくることが多い本だ。荘子自体がヘンな人だったようで、この本も相当ヘンである。でも、読み進めていくうちに徐々に頭がほぐされて何かが染み込んでくる感じは、読書の醍醐味を味わせてくれる。タイトルのように、何もない「日曜日に」、しかも「一人で」いるときに読むのがお勧め。