おめでとうが言いたい

本をじっくり読む暇がなくて書くことがない。いつもは、あまり書かないことにしているのだけれど、記録がてら自分周りの話をすこし。
今日は友人のとてもいい知らせがあった。というか、ブログに書いてあるのを見た。
修業期間でも、試験勉強でも、そういうものにつきまとう「世間から置いていかれている感」は、人を相当なプレッシャーの中に置く。それを強い意志で打ち破って一歩を踏み出したことを、心からすごいと思う。嬉しい!
いろいろな人に言われているだろうけど、知人の端くれとして、肩をぽんぽん叩いて一緒に喜んで、おめでとうを言いたい。
それなりの年になると、他人の幸福が嬉しくない時があることも知ってしまう、いやむしろそういうことが自分も他人もどんどん多くなる。自分の喜び、他人の喜びのときに全員が嬉しいわけではなく、複雑な思いの人もいることが、形式ばったおめでとうという言葉だとか、それを言ったりうれしそうな人を目の前にした表情からわかってしまうのだ。そしてきっと自分もそういう気持ちのときは、ばれているのだ。…かなしいなぁ。
それだけに、他人の幸福を素直に喜べることの、なんと嬉しく、貴重なことか。おめでとうと顔を合わせて言いたくなる、というそのことがとても嬉しい。早く会って、嬉しそうな顔を見たい。ほんとうによかった。
そういえば偶然なことに、自分も、視力を落とすほど必死にパソコンに向かって英語と格闘した仕事が、昨晩通った。彼の何年にも渡る大変さに比べれば、小さい小さい一歩だけれど。次のステップに進むために、明日からも毎日地味に頑張るのみだ。
なんたって、お互いに、人生大変なのは、ほんとうにこれからなのだ。