スタンダール「赤と黒〈下〉 (岩波文庫 赤 526-4 9」

上巻の感想はこちら→http://d.hatena.ne.jp/PineTree/20070803/p1
下巻は主人公が田舎町から出てきたところからはじまる。上巻と下巻で描かれる恋愛のコントラストの強さがすごい。田舎町の主人公と貴婦人の間の純粋な気持ちにキュンとなる上巻とはうってかわった、下巻のパリ編。自尊心と打算が大きくはたらき、相手への、そして自分に対する気持ちがコロコロと入れ替わる。

この気持ちの変化や駆け引きは、恋愛に限られるものというよりは、自分とは他者である人間との関係一般に認められるもののように思える。ある人間を、尊敬しつつ完全には認めたくなかったり、心情的に近いなと思いながらどうしても受け入れられぬ一面があったり。心を許せると思いきやちょっとした言葉や振る舞いに不信でいっぱいになったり。逆に信じられぬと思っていた人間とやはりやっていけるように思ったり。
田舎からパリに出てきたという主人公の立場に気持ちを重ね合わせるとなおさら、都会における他者との関係に悪戦苦闘する姿と気持ちの移り変わりに共感をおぼえる。
そういう人間関係の難しさの裏に、身分だとかお金の問題がある。パンがあっても退屈な人生もあるし、そういう気持ちを抱く人物もたくさんでてくる。しかし主人公のようにパンがないことで、不必要にひねくれてしまったり自分を高めねばならないと気を張ってしまったりすることがあるのも確かだ。そしてそれが静かに悲劇につながっていく。主人公がこう叫ぶところがある。

そうだ、おれはそんなばかじゃないぞ!人生という利己主義の沙漠では、誰でも自分のことしか考えないんだ(p157)

利己主義的にならねば生きていけないのか、それとも自分の道徳心や良心といった気持ちに素直に生きていていいのか。昔から問われつづけているこういう問いかけにまだ揺さぶられてしまう自分の弱さ。逆にいえば、いろいろな読み方ができるが、そういう問題に共感しうる青年にむけての呼びかけとしても、この本は書かれているのだ。ひとまず自分が生きていくことが大事だと言い切れてしまう、そうした葛藤がないような、人間には感じ取ることのできないせつなさがある。
そういった問いかけとともに浮かび上がる思いが、この本にも出てくるように、人はなぜ、一人に許されることによって自分で自分を認めることができるように思えたり、逆に一人に否定されることで自分の全てを信じられなくなったりするのだろう、ということだ。恋愛は人の力になることは確かだが、逆にもなる。一人の人間の評価に左右されずに自分を認めていられたらどんなにか人間は強くなれるだろうか。そう考えさせられるような周囲の人間との関係がまた物語のおもしろさをを強く支えている。
…恥ずかしいことだが、今の自分には、この本はどうしても自分にひきつけずには読めなかった。歳とその状況に応じてこの本を読んで見える景色は変わってくるだろう。いずれまた読んで別な感情を覚えるときを楽しみにしたい。
それにしても、スピード感があって、どきどきさせてくれる。さすがに長く読まれるだけはある。とてもいい読書体験でした。