池澤夏樹「静かな大地 (朝日文庫 い 38-5)」

これはおもしろい。
同じ北海道出身の道産子として、池澤夏樹さんは読みつづけたい、好きな作家の一人だ。そんな彼が、北海道開拓とアイヌというテーマに真正面から取り組んで書いた600ページ超の大河小説。
淡路島から入植した宗形一族。主人公である三郎は、アイヌの人々と共同生活を営みつつ馬を育てる牧場を経営していく。彼は、牧場を大きくするとともに、和人(北海道に移り住んだ人)により生活が圧迫されているアイヌの人々を潤せる場所になればと考えるが…。
物語は、ユーカラ*1アイヌの昔話や伝説)や、シャクシャインをはじめとするアイヌと北海道の歴史の話に彩られながら、近代化とともにアイヌを圧迫する大きな動きのなかで翻弄されていく、主人公とアイヌの仲間たちの悲劇が描かれる。
主人公の三郎の性格を最もよく表わすと思う箇所を引用させてもらう。

私は子供の頃から理の勝った性格であった。風向きに応じることが不得手であった。この天地には理というものがあり、人はそれに合わせて生きるべきだと、なぜか幼い時から信じてきた。(p583)

こう語る主人公の三郎はアイヌとともに、彼らの生活を尊重して生きるべきだという「理」を貫き通す。概して、こういう人間は世渡りが不得手と決まっている。またここでも、理を貫くべきか、自分の利を得て生きるべきか、という相反した生き方が問題となってくる。いや、相反しない人もいるのかもしれない。私にとっては考える必要があり、問題だと思う、というだけであって。少なくとも私には、引用したように語る三郎の気持ちに大いに共感するところがある。それで損や苦労をしようと、自分の信じる理に従わない生き方に意味があるのかと考えてしまう。この三郎の言葉と同じことを信じられてしまうほど、頑固だといってもいい。
もちろん、誰しもが「理」を貫く生き方に共感できるわけではないだろう。また、生き方自体には共感できるが、三郎の説く「理」の意味はわからないという人もいるかもしれない。しかしこの小説では、三郎の思う「理」に読むものが共感できるように、アイヌの自然と対するときの考え方や、その生き方の尊さをさまざまなエピソードで少しづつ見せてくれる。読む人は、なぜそのような文化を圧迫し淘汰してしまったのかと考えざるをえないだろう。アイヌ民族のことを知らない人にははじめて聞くようなことばかりで新鮮であろうし、またその自然に対する姿勢などの豊かさには驚かされるだろう。それを知るだけでも読む価値があると思う。

小説だから創作ではあるのだが、最後に書いてあるように主人公は著者の母方にさかのぼった人物をモデルとしている。著者自身の、ルーツを探る小説とも言える。
僕も自分のルーツが気になったことがある。四国地方から明治末期に渡ってきたようだが、それ以上はわからない。北海道の人にもいろいろなルーツがある。しかし、その多くが内地に祖先を持ちながら明治以降に北海道に渡ったことは確かだ。
自ら開拓にたずさわったかどうかに関係なく、彼らが(ぼくや著者の先祖が)入植した土地は、アイヌの人々が生活する舞台だったものを勝手に奪い拓かれたものだ。道産子は、そのルーツをたどると嫌でもアイヌから土地を奪って豊かな暮らしを築いてきたという痛みと矛盾に対面せざるを得ない。…そんなことは学校で習った。確かにそれはそうなのだが、長じるにつれて、そして北海道を離れて長くなると、そういうことはどんどん忘れてしまう。それではいけないのだ。ルーツと向き合うことは、痛みを共有することでもある。

アイヌ民族の、自然に感謝し、幸は独り占めしないで分け合おうとする精神。そういう精神が廃れていることを、誰もが自分こそが生き残ろうと血眼になっている今ほど、感じさせられる時はないだろう。
少なくとも、自分が自分がと、自分の成功ばかりに必死になるのは、私たちの世代で止めなければならない。損を見るかもしれないが、「理」を信じて行動する人間が居るからこそ、ほんの少しづつでも社会は変わっていく。アイヌの人々から奪った豊かさで自分の生がある以上、その精神と文化への敬意を抱き、少しでも「競争」と「淘汰」ではない「理」にかなった社会にしていけるように努力していく。それが道産子の、いや日本人全体の務めと言ってもいい。
話がでかくなってしまったが、とにかくおもしろい物語だった。これを一日で読みきるという休日の過ごし方の豊かさ。

*1:本文中では萱野さんの編纂した辞典による、正しいアイヌ語を用いていて、「ユカラ」(ラは小文字)となっている。このあたりのこだわりもおもしろい。