ヘッセ「デミアン (新潮文庫)」

車輪の下 (新潮文庫)」しかしらないヘッセを、さる友人に影響を受けて読み始めることに。その人の、仕事をやめてまで読みたくなる、読む時間を欲するとは尋常ではない言いようである。
ヘッセさんは、車輪の下に代表される初期の作品が有名だが、実はそのあと戦争の時代に人生の転機というか、精神的危機を迎えられたようで、その後の作品はそれ以前とだいぶ毛色が異なっているという。このあたりは解説にも詳しい。
ヘルマン・ヘッセ - Wikipedia
この「デミアン」は前期から後期への転機となった一冊とのこと。背景ばかり詳しくなってもしょうがないので、お勉強はこのへんまでにしておく。

以上書いたようなことを知らずに、考えずに読んだが、夢中になれるおもしろい小説だと思った。前半では、少年時代のびくびくしたり安心したり、そういう気持ちの描写がとてもうまい。後半に向けて、主人公が成長していき、考えることや悩むことが変わっていくさまも、身につまされるものがある。主人公は、自分の心にのみ存在する、見守ってくれる存在と対話する。さまざまなことを経て年齢を重ねても、知人と話していても、まず自分と孤独に対話しようとする主人公の姿勢は終始変わらない。
自分になにができるのか。自分はなにものでありうるのか。青臭い問いといえばそうなのだけれど、結局どのような年齢になっても、簡単にはそこから離れられないものだと思う。

各人にとってのほんとの天職は、自分自身に達するというただ一事あるのみだった。(p191)

主人公が、というより著者が達したこの認識を成し遂げることのいかに難しいことか。
これぞ天職だと思うような仕事を見出して働いていても、常に自分自身であると堂々と言えるような自然な心持ちでいるのはとても難しい。いかなることをしていようと、これが自分自身のスタイルであるのだ、と思えるような心持ち。
人間は欲張りだ。他人に影響を及ぼしたくなったり、世間的な成功が欲しくなったり、お金が欲しくなったり、する。自分を取り巻く状況が厳しくなれば自分のスタイルを捨ててでも安心がほしくなったりする。それとは違うところでどれだけ自分は自分だと腹をくくれるか。つきつけられた問はとても深い。この本を同じように読んだとしても、答えの出し方は一人一人が考えるしかない。