R.P.ファインマン「科学は不確かだ! (岩波現代文庫)」

ノーベル賞ももらった、最も有名な物理学者であるファインマン先生の講演集。彼の著作ではもっと有名な「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を先に読むべきだったが、まずは手軽なほうから。
科学というとかっちりと確かなイメージがあるが、全くそんなことはない。『ものごとを突きとめるための方法としての科学(p20)』は観察にもとづいて正しいかどうかが判断される客観的なものだが、不確かさと要約がつきものなのだ。このこと、つまりタイトルどおり、科学が不確かであることをはっきりと(しかしすこしおちゃらけながら)述べるファインマンは、日本のテレビで自信に満ちたことだけを述べる科学者とは全く異なっている。

だから科学者は、疑いや不確かさに馴れっこになっています。もとより科学的知識とは、すべて不確かなものばかりなのです。またこうして疑いや不確かさを経験するのは大事なことで、これは科学だけでなく、広く一般にも非常に価値のあることだと僕は信じます。いままで解かれたことのない問題を解くには、未知の要素を入れる余地を残しておかなくてはいけません。(p37-38)

この講演でしっかり述べられているように、科学が不確かであるということ、科学知識を受け取る側もその不確かさに慣れる必要があるということは、もっと強調されてもいい。と同時に、その不確かさこそが面白いのだということも。次の部分は、まさに、「そう、そうなんだよ」と言いたくなる一節。科学の面白さは、3分クッキングのごとき実験で伝えられるものではなく、こういうものなんだよ、ということをさらっと言っている。

科学にも想像の力がいるということを、人が信じようとしないのは、不思議なことです。これは芸術家のとはまた違った、実におもしろい想像力なのですが。なにしろいままですでに観察されたものと、細かいところまで矛盾がなく、それでいていままで考えられたことのある何物とも異なっており、しかも見たことのないものを想像するのは、まったくもって難しい。おまけにその定義は漠然としたものではだめ、具体的でなくてはならないんですから、これぞまさしく至難の技です。(p32)

この部分を読めただけでもこの本を読んだ価値があった。なんとなく思っていても、伝えられるかは別だ。話すのがうまいというのはとても重要な才能だとつくづく感じる。