M.J.アドラー、C.V.ドーレン「本を読む本 (講談社学術文庫)」

タイトルに違わず、本とはどのようなルールで読まねばならないのかについて解説する本。そのルールがなんと多いこと!本は「読める」が「読みなれていない」人間にはこれが押し付けがましく、苦痛かもしれないと若干の危惧を感じざるをえない。
本を読むなど誰でもできる。しかし、熟練したやりかたで本を読むのはなかなかできることではない…というのがこの本の著者のスタンスである。そのためには多くのルールが必要だ。
著者はこれをスキーに例えている。スキーは、とても複雑な一連の動作を意識せずにスムーズに行える段階になったときにはじめて、美しく滑っているように見える。熟練した読書も同じで、著者の挙げるたくさんのルールを意識せずにできる段階になってはじめて、良い読書と言えるのだという。
著者はこの熟練した読書を『分析読書』(もしくは『積極的読書』)と読んでいる。言葉からして仰々しい。本を読むなんてどうやったって同じではないかと思う人には、なおさら苦痛な言葉に違いない。
しかし、本を読みなれている人だけでなく、学問をしている人、分析と研究が必要な仕事をしている人には、この本の意図するところが比較的すんなり入るだろうと思う。難しいことを言おうとしている本(文章)ほど、分析的に読むことが必要なのだ。ある本から多くを得て仕事に生かすためには、表面だけを流す読書ではなく、その本の中身をしっかり掴み、書かれていないこと、著者が言おうとしたことを捉えられたほうがいい。それがいつのまにかできている人には、「あぁ、専門的(で難しい)論文(報告書)を理解しようとするのと同じだな」とわかるはずだ。
つまりこの本が教えようとしているのは、高度に精神的な仕事を成し遂げようとする場合に必要な技術なのである。高等教育に必要な読書といってもいい。
この本を読んでその技術を自分のものにできれば、既に誰かが述べていることを消化した上で自分の新しい考えをうちだす、ということができるようになる。つまりそれは、大学でいかに学問をするか、いかに専門的で提案のできる仕事をするか、ということに大きく役に立つ技術である。
そう考えてくると、この本の主なターゲットは、大学に入ったばかりの学生や、これから仕事をしようとする社会人一年目の人間と言ってもよいと思う。目的に応じて読む深さや速度は変わってくるが、なにかしら頭で考えて仕事をするものにとって、『分析的に読む』というこの本の考えが必要となることは間違いないのである。ぜひ、そういう人にお勧めしたいし、そうでなくても、「本を読んで仕事に、人生に生かす」ことを考えている人には、自分の読書習慣を見直す意味でもお勧めできる。
この本の面白いのは、書評も含めて読書だ、と断言しているところである。

良い本は積極的読書に値する。だが、内容が理解できただけでは、積極的読書として十分とは言えない。「批評の務めを果たして、つまり判断を下してはじめて、積極的読書は完了する」。(p143)

読書はしても、その本に対して丁寧に批評を加えるところまでやる人は多くない。ブログで本についてのコメントを書いている人を見ても、「読んだー」「面白かったー」だけで終わっている人も多い。それではもったいないというのはこの本のスタンスでもある。多くを語る必要はないのだ。ピンポイントに、その本で書かれたりないことは何か、納得できたことは何か、について書いていければいい。
その程度ならそんなに難しくはない。本を読みなれればできることである。小説やエッセイにも応用が利く。もう少し踏み込んでほしかったとか、全面的に納得できるとか、そういう批評ができると、小説などについても、より面白く本を読むことができるはずである。この本はだから、仕事のための読書だけではなく、娯楽として本を楽しむ人にも役に立つはずだ。
世の中、読みきれないほど面白い本がある。本を読むからには、できるだけ自分の実になって面白いものを読みたいものだ。娯楽として本を読む人であっても、そういう段階に至れば、読書はさらに楽しく、かけがえのないものになる。そういう、より喜びに満ちた読書へと読者を導く一冊。翻訳者に少し前に本を紹介した外山滋比古さんが名を連ねているが、この翻訳も実に読みやすく、この本の価値を落としていない。

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