「情熱大陸」ニ宮和也

ちょうどDVDを見たばかりの二宮和也。映画で世界からも脚光を浴びた彼の、「自分はアイドルだ」というスタンスを崩さない、おごらず落ち着いた姿勢を追っていく。
そもそも所属事務所のこともあるし、アイドルというのは「ぶっちゃけた」話はしないものだから、彼の言葉が全て本音とは思わない。だから、一人の人間の生き様を追っていくこの番組のファンにとっては、見ようによっては消化不良な気持ちが出てくるのも否めない。
ただ、彼の言葉や態度の端々から、彼が嘘のない、そして全く浮ついたところのない、職人とも言えるような気持ちで自分の仕事に向かい合っていることがよくわかった。
アイドルはあまり割りに合わない、という考え方だってできる。一生アイドルではいられずに普通の人間に戻ってしまうアイドルが少なからずいたり、続けながらもどこかで自分に求められているものと自分のしたいことの折り合いをつけられていないだろう人が多いことは想像がつく。
若い人ほど、自分にはコントロールできないほどの大きな力に、勝手に動かされている感覚に耐えられないものである。どんな仕事にも下積みがあり、給料も含めて上司にコントロールされることに耐えねばならないのが多くの仕事だ。若い人間ほど、そういう、人に人生を握られている感じが嫌なのだ。アイドルはそういった仕事の最たるもので、華々しい舞台に立てたところで、結局は誰かに動かされている。しかもそれは上司とか事務所とかそういうわかりやすいものだけではなく、多くの人間の視線というものまで含まれるのだ。
そういった境遇が嫌いな若い人間は、だから弁護士とかベンチャーの社長とかになりたがる。人に人生を左右されることなく、自分で自分のことを決めたいのだ。そういう気持ちはあって当然である。かといって、みんなが独立できるわけではない。人に動かされたくないという自我はあるが独立まではいかない人は、「ぶっちゃけたり」、お山の大将になったり、自分にある集団に所属している以上の付加価値をつけようとする。「私はそんな集団にいるようなレベルの人間ではないんですよ」というたぐいの。
自分も含めて、そういったどうにか自分の足で立ちたい、付加価値を自分に早くつけたい、と常に考えている若い人々の姿を知っているからこそ、この二宮さん(とあえて呼んでみよう)の割り切り具合は見ていて恐ろしいくらいだ。優等生的発言をしている、というよりは、もはや彼のスタイルとしてそういう割り切り方ができているように見えたのだ。細かい不満はあるのかもしれないが、彼はもはや自分に求められているものに逆らおうとしない。「自分の考えをもつと面倒だから」、何も言う必要がないときは自分だけの世界にこもって口を開かない。そうでありつつ、自分に求められているものにどう応えていくのか、という方向に自然に身体が動いていくのだ。もしかすると彼が「アイドルは空気が読めますよ」と言っていたように、アイドルとはみんなあのようなものなのかもしれないが、20代の人間の立ち居振舞いとしては恐ろしいほどだ、とぼくは思った。
そんな生き方つまらないよ、と頭がよくて目先の利益をしっかりつかめる人ほど言うだろう。でも、ぼくが共感するのは圧倒的にそういう落ち着いた、周りを生かせる生き方だ。そういう人が地道に努力して、自分の考えはどうあれ周りに応えてともに仕上げていくような良質な仕事は、必ず誰かがみていて、徐々にその人間に共感する人間が増えていくものだ。まさに今回の映画がそうであったように。