家事に逃げちゃいけないけど、家事は創造の源だ。

断じて家事は逃げ場ではない。逆に、家事は仕事からの逃げ場だ、と全ての人が感じられるほどお気楽なものでもない。普通に心地よく生きるためにやるべき、やっていけば実に奥の深い日々の営みであって、それ以上でもそれ以下でもない。それを最初に確認しておく。
それにしても。フリーで仕事をしていたり、ある程度家でできる仕事だったり、もちろん家に持ち帰った仕事でもいい。家で(それなりに)創造的な、単純作業ではない仕事をしなければならないときに、人はどうして家事をしたくなるのだろう。
昨日、そういう、家でクリエイティブな仕事をフリーでしている人と飲んでいたときに、その人がこんなことを言っていて、ひどくわかるわかると共感してしまったのだ。『一緒に暮らしている人にもしも、「君は仕事をしなきゃいけないのだから、家事は僕に任せておけよ」なんて言われたら、逃げ場がなくて嫌になっちゃう』と。
…もちろん事態は一人でも変わらない。仕事をしなければと思うと掃除をしたくなるのは多くの人が体感していることだろう。部屋がきれいになったところで、やる気が増すかというとそうでもないのが多くの人間の弱さである。掃除でなくても同じだ。ご飯を作って食べれば眠くなる。
それでもなお、頭を使って何かを生み出さねばならないときに、そういった単純作業、身体に覚えのある作業はとてもいいのだ。食器を洗う。ざくざくと野菜を刻む。丁寧に掃除機をかける。手を動かしていれば、眠くないし、気分もよくなってくる。もし、そういう作業をしているヒマがあったら仕事をしろよ仕事を、と言われ机に縛り付けられたら、その縛り付けられた状態を持続して、自分の頭で何かを生み出すことはとても苦痛だ。息抜きというのか、頭休めというのか、家事はそういうのにとても向いている。テレビを見る、とかよりは自分や家族のためにもなる。
いつもやっていることを、手を動かしながら丁寧にやっていくことで、何かを生み出す頭の状態を整えていく。少しづつ頭の中のアイディアややりたいことが熟していく。そう考えていくと、逃げ場というのは語弊があるかもしれない。よく言われることかもしれないが、ほんとうに家事は創造の源なのだ。