岡崎武志「読書の腕前 (光文社新書)」

本はじっくり買うほうだ。あまり衝動買いはしない。本屋では、立ち読みしては本棚や平積みに戻し、店内の他の場所をぐるっと回ってきてもう一度眺めて、それでも買いたくなったときにだけ買う。
しかし特別なときもある。つい最近、新書の棚を見ていると、古本をこよなく愛し、本好きにとって憧れの書評家である岡崎武志さんの名前があったので、中身も見ずに買う。『「本だけ読んで死にたい」男(p206)』であり、本への愛を数多くの文章にしてきた著者の本が、本好きの琴線に触れないはずがない、との確信からである。
著者の生い立ちとともに、本の読み方、古本の探し方、本を読んだ後の楽しみ方などに触れていくのだが、その合間に絶え間なく面白い本を紹介してくれる。それがまた、「趣味は読書です」なんて特に考えもなく言えてしまう人はお呼びでないような、一筋縄ではいかないものばかり。世の中には読みきれないほど、読みたい本があるものだ。どれもこれも読みたくなってしまうとともに、その多くをはじめて知ってしまうような自分は本好きを称するにはあまりにも半端であることを思い知らされてしまう。いやいや、少しでも勧められた面白い本を読んでいこう、と感じ始める最後に、きっちりとお勧め本のガイドをつけてくれるあたり、嬉しくてたまらない。
別に、そこまでの本好きでなくても、思わず納得、共感、勇気付けられる文章なので、心配いらない。ツン読こそが本の楽しみ方の最たるものだというくだりでも、多くの有名な本好きが述べている文章を引用し昔から言われていることなのだと紹介してくれながらも、独自の粋な表現でその感触をよく伝えてくれる。一番好きな箇所なので、引用させていただき、この本のお勧めにかえたい。
この本、ぜひ買って読むべし。

それが自分の部屋にある。本棚を見るたびに、目の端に署名が、背表紙が飛び込んでくる。「お兄さん、お見限りね」と手をひらひらさせながら、ときに媚を売ってくる。ここが大事。濁流に呑まれて、書店の中へと姿を消した本を意識に上らせることは難しいが、買った本ならいつも自分といっしょにいる。それは「いつかは読まれる本」として、出番を待ちながら待機している。人は、ときにあっさりと知人を見捨てるが、本はけっしてあなたを見捨てない。買ってくれた恩を忘れず、「お見限り」でも、ただ黙って出番を待つばかりだ。(p54)