浅羽通明「右翼と左翼 (幻冬舎新書)」

新書にふさわしい分かりやすさと使いやすさ。もちろん、わかりやすければいいというものではないし、わかりやすさを売りにしてただたくさんの人が飛びついてくれればいい、というような本がまともなものではないことはよくわかっている。でも、この本の分かりやすさと、新書ならではのそれなりの内容は、十分に著者があとがきで下のように書いた執筆理由を満たしている。

いずれ、しかるべき学識と洞察力と資格のある先生が、人々の知的欲求のありどころ、「需要」の内容を掴み、『右翼と左翼』を十全に解説した決定版を刊行するまで、代役を務め得る小著を世に出しておく。それが本書の執筆理由です。(p250)

だからこの本ははじめから、右翼だの左翼だのという分け方はそんなに意味をなさなくなっている、ということが分かってしまっている人にはあまり必要ない。だからきっと、頭がよくてそのへんのことを十分に理解なさっている方がこの本を読んだら、その物足りなさに怒る人もいるだろう。
しかしこれほどきれいに、高校生が読んでもわかりそうなように右翼と左翼の歴史を解説した新書は他にはなさそうだ。いろいろな対立軸と、それができてきた経緯にも触れ、現在の状況につなげていく流れは、高校生のときに読んでおきたかったな、と思わせる手際のよさ。この本は、右左を定義する、というよりは、右左という言葉を使って、政治の歴史を見る、という本だ。もっと複雑だ、とか今は意味はそれほどない、というのが真実に近いとしても、そこに至る前段階として著者の提示する見取り図は十分に使えるものだ。
おかげで最後のこれからどうなるのか、について著者の考えを出したあたりは少し流し読んでしまったが、そこの部分も一つの見方としてこの本の最後に入れるに意味のある文章だった。少し智恵がついた人なら、この著者が左右どっちに誘導しようとしているだとか、茶々を入れたり内容の浅さに突っ込んだりする人もいるのかもしれないが、個人的にはそういうことを言ってみてもしょうがないと思う。だいたい、これだけ分かりやすく分からない人に説明できているのだから、十分役目は果たしている。同じように書けるかと問われても、なかなか書けるものではない。
タイトルについて疑問に思っていた人には、ぜひお勧めしたい。