野田智義, 金井壽宏「リーダーシップの旅 見えないものを見る (光文社新書)」

リーダーシップとは何か、どうすればリーダーが生まれるのか、ということを常に考えてきた学者とNPO法人創設者、2人の対談を元にした一冊。
次世代リーダーの輩出に取り組むNPO法人を立ち上げた野田さんのイメージ溢れる言葉は、リーダーシップというものの本質をよく突いているように思えた。彼は、リーダーシップは生まれつきのものではないという。ビジョンなり夢なり、他人の見えないものを見てしまった人が、その地点へ向かって旅をしていくなかで身についてくるものがリーダーシップなのだという。それがタイトルにもある、「リーダーシップの旅」というイメージだ。
誰しもリーダーとなる前は一人で旅をはじめる。その後彼(彼女)に共感してついてくる他人が現れ、そのときにリーダーシップが自然に発生する。この「誰しも最初は一人で、最初からリーダーではない」という考え方は、全ての働く人にとってとても魅力的だ。つまりは、自分にリーダーシップがあるかどうか、ということは問題ではない。最初に自分で旅をはじめようとするか、が大事なのだ。
この旅は三つの段階を踏んで変化していくのだという(p50)。それは、

  1. リード・ザ・セルフ(自らをリードする)
  2. リード・ザ・ピープル(人々をリードする)
  3. リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)

の三段階である。自分の内なる声を聞き、なにがしたいのか、何を目指したいのかを明らかにして旅をはじめる段階が「リード・ザ・セルフ」。それに共感してくれた人との協働関係を築いていくのが「リード・ザ・ピープル」。そして社会に、世代を超えて意味のあるものを残すのが「リード・ザ・ソサエティ」だ。
自分で動機をもって動き出し、人を巻き込み、社会に還元する。いかなる仕事をしていても、この三段階を経てリーダーシップが進化していくだろうことは納得しやすい。しかし、この三段階目のいかに難しいことか。家族や、同じ仕事をしている人の幸せを考えるところまでは考えられる。ただ、それを社会に意味のあるものとして残していくという動機をもち、それを実行していこうとするには強い使命感のようなものが必要だ。
この本では、「とことん自己中心的になってやっているうち、利己と利他がシンクロナイズしてくる」と述べているが、その際に「利他」の「他」が結局自分の周囲と家族くらいに限定されやすい、縮こまりやすい、ことに最近気がついた。自分が生き残り、会社や家族を幸せにする。この厳しい時代にはもちろんそれが第一義なのだけれども、それで終わってはいけないのだ。そこを目指しているうちに社会への還元が心に芽生えることもあるだろうが、強い心で使命感を抱かなければ、自分の力を家族とせいぜい会社の幸せを求めることに限定して使おうとする弱い心には勝てない。
この本を読んで、少し自分に負荷をかけねば、厳しくせねば、と思った。常に社会への意味のあるものを残そう、社会へ還元しようとする意思を持たねば、ただのつまらない大人になってしまう。少し前まで、「社会に何か残す」と考えるのは恥ずかしいような気がしていた。でも、幸せにここまで来られたからには、それではいかんのだ。もうすこし、がつがつしていかねば。
ただ学問的なリーダーシップ論でもなく、お説教でもなく。自分がリーダーに向いているとか向いていないとかに関係なく、心にふつふつと勇気の湧く本。