ベンチャー的人間

格差がどんどん開くだろうと人は言う。生き残らねばと誰もが言う。金持ち父さんがそう言っていたかは詳しくは知らないが、自分で事業を立ち上げて搾取される側からする側に回るべきだと息巻く。
学歴のある、頭のいい人ほど、そのようにしてどうにか生き残らねばと血眼になっている。早いうちに金持ちになって悠悠自適な人生を送りたいと考えている。30にもならないうちから、自分が働ける日数を計算したりして。何歳までに何をする、と目標を高く掲げ、常に努力する。
彼らは、ホリエモンみたいにお金が大事だ、なんてはっきりとは言わない。むしろ、社会貢献をしたいだの世の中を良くしたいだのということを口にする。ホリエモンを拝金主義だと嫌悪していた人間すら、おお、感心な若者だ、なんてころっと態度を変えるのはこういう人間に対してだ。
彼らは、誰に対しても優しい。人間としてもソフトだし、希望に満ちている。まさに今の社会が彼らを求めているかのようだ。若者は彼らのごとくベンチャー的精神を持って、自ら動いて生き残っていくのがいいのだろうなんて風潮になるのも無理はない。

でもそれはほんとうか。彼らはその笑顔の裏で、他人を自分に使い勝手のいい道具としか考えていないかもしれない。社会貢献といいながら、その善人ぶりに自己陶酔しているだけかもしれない。結局ただのサラリーマンより偉いのは俺たちだ、とベンチャー的人間以外を下に見ているかもしれない。…そして、こういう「ベンチャー的人間」をたくさん近くに見ることが多いと、この、もはやひがみとも思えるような推測は、案外当たっていることが多いように感じられるのだ。
だいたい、格差社会だ、だから頭のいい俺たちは生き残らねばならない、というのはあまりにも露骨で、俗物的な考えだ。ノブレス・オブリージュではないが、学識と自信のある人間ほど、信頼しあう社会、助け合う社会を取り戻すような方向に力を傾けるべきではないか。でなければ、誰もが誰もを出し抜こうとする傾向はどんどん進んでいくではないか。
…こうかくとちょっと昔のサヨク的な感じになってしまったが、若い「ベンチャー的人間」はあまりにもそういう考えを持っていないように思うので書いておきたかったのだ。
日経新聞に、格差社会を論じれば論じるほど、エゴイスティックな行動に拍車をかけてしまう、という文章があった。今、比較的余裕のある家族に生まれ、比較的いい学校を出ている若い人間が、どんどんエゴイスティックになっている。
「まず生き残れ」、という言葉は正しいかもしれないし、戦後に美談とされた闇米を食べないで飢え死にした知識人になんかなるべきではない。ただ、ベンチャーを立ち上げられるような人間なら、生き残ること、勝ち抜くことにそこまで必死にならず、もうちょっと余裕を持ってもいいじゃないかと思う。