樋口敬二編「中谷宇吉郎随筆集 (ワイド版岩波文庫)」

中谷宇吉郎は、北大での人口雪の研究が有名な物理学者であり、寺田寅彦の弟子でもある。
寺田寅彦の随筆を読んだことがあるだろうか。夏目漱石の弟子ともいえる彼の随筆は、科学的なものの見方というものがどういうものかをわかりやすい言葉で伝えてくれている。昔の科学者は、なんと文学的素養があったのかということをつくづく感じる。

そんな寺田寅彦のお弟子さんである著者の随筆はまた、実に読みやすく彼の科学に対する考え方が伺えるさすがの名文。
読んで感じられるのは、著者の、科学以外の事に関する造詣の深さだ。それは、師匠の随筆にも同じことが言える。科学において何か新しいことを見出すには、科学以外のことにも通じ、「鳥の目」で
いろいろな角度からものごとを見られるようになることが最もいい方法である、という、師匠から、もしかすると師匠のさらに師匠から伝えられてきたのだろう科学者としての哲学が、ここに息づいている。
例えば、加賀での少年時代の経験から、非科学的な、とも言われそうな物語や伝説のようなものが自分に与えた影響を思い返し、著者はこう書く。

近代の専門的な教育法のことは知らないが、私には自分の子供の頃の経験から考えて、思い切った非科学的な教育が、自然に対する驚異の念を深めるのに、案外役に立つのではないかという疑問がある。幼い日の夢は奔放であり荒唐でもあるが、そういう夢も余り早く消し止めることは考えものである。海坊主も河童も知らない子供は可哀想である。そしてそれは単に可哀想というだけではなく、余り早くから海坊主や河童を退治してしまうことは、本統の意味での科学教育を阻害するのではないかとも思われるのである。(p77)

戦後すぐに書かれた文であるが、今の時代にこういうことをあえて言う科学者はほとんどいないだろう。
早くから実験や科学的知識を教えて科学者への憧れを起こさせるのも悪いことではないが、それで独創的な、真に科学的といえる発見がなされるかというと、実に疑問である。
真の科学普及とはどういうものか、人間の営みとしての科学とはどのようなものか、ということを、文学の素養もあった昔の科学者はしっかりと見据えていたように思われる。


著者が残したたくさんの随筆のうち、この本に含まれているのは弟子でもある編者が選んだごく一部であるが、雪の研究についての文章、生い立ちや故郷についての自伝的文章、寺田寅彦の思い出…とバランスよく著者の考えと魅力が垣間見られる随筆集となっているように感じた。

また、同じ著者による「雪」は、「その成功によって、以来、岩波新書だけでなく、その後の多くの新書に、自然科学系を含めるという出版会の定形を生み出したものである。」(編者による解説p375より)という記念碑的なロングセラーである。こちらは著者の本業の研究について詳しく、しかし易しく説いた一冊で、今の研究から考えると素朴でありながら、研究とはこうやってやっていくのだな、ということを思い起こさせてくれるたいへん面白い一冊。こちらもあわせてぜひ。

雪 (岩波文庫)

雪 (岩波文庫)