野矢茂樹「入門!論理学 (中公新書)」

入門!論理学 (中公新書)
論理学といっても、ああだこうだと口うまく人をいいくるめるための学問ではない。それはそうだろう、と思っていても、どこかそのような響きを感じてしまうところに、「論理」という言葉の近寄りがたさがある。
著者もはじめの章で「論理的とはどういう意味か」という話をマクラにふっている。おおざっぱに言うと、論理的、とはことばとことばの関係を性格に捉えられること、だという。ここまでは、あんがい直感的な「論理的」という意味合いに近い。
では、ことばとことばを正確(と思われるように)つなげられれば論理的か、といえばそうではない、と著者は書く。とすれば、どのような道具立てがあれば、すべての会話や問題を論理的に整理できるのか?
…という流れで、論理学がなんたるかに入っていく際のスムーズさは、さすが。すうっと論理学の世界に入っていけた。


この本を読んでいて思い出した。
大学の数学の講義で、先生が「1+1=2」なのはなぜか、を証明していたのを覚えている。そのときは必死にノートを取っても全く意味が分からなかったが、実はそんな数学の根本的な証明にも、まさにこの本で出てくる、論理学の道具立て(公理)が存分に使われているのだ。
もちろん、高校の授業で、その大学の講義で使う道具、すなわち、「または」だの「かつ」だの、その組み合わせだの、はやっている。しかし、それが実際にどのように考える道具として用いられるのか、は式だとか教科書では結局わかっていなかったのである。そのために、論理をきっちり追っていく厳密なレベルの証明の意味もすぐには理解しがたかったのだ。
もっと早く、この本に書かれている論理学的考え方が頭に入っていれば。…しかしそれが、この本ではわかってしまう。すごい。


この本で得られる考え方は、そのような学問的なことに使えるだけでもない。
日常の仕事の中で、例えば上司に、例えば同僚に、いかに穴のない、論理的な説明をしていくか、に頭を絞っているときの考えがこの論理学の考え方ととても似ていることに気づかされる。役に立つかわからないこの論理学についてじっくり考えていくことで、おそらく知らず知らずのうちに人に支離滅裂でなく、しっかりした説明ができるような頭に徐々に変わっていくことはうけあいである。


それにしても、野矢先生の本はいつも面白い。
しかも、さばけた口調ながらも本の中身はいつも手抜きなしのところがすごい。
これまで何冊か面白いと思いながら読んでいるが、結局のところは自分の理解は「わかったふり」に過ぎないのだろうなとはつくづく感じる。ただ、論理学の、数学の、そして哲学の謎の深さを垣間見せてくれただけなのだと。
でも、それが面白いと思えることすら、普通に生活しているだけではなかなかないことで、数学や哲学なんて何の役に立つのだ、どこが面白いのだ、と思うのが普通なのである。それが普通なのだというところに立ち返ると、「面白い、わかった感じがする」というところに至るのはとても幸せで稀な経験なのだと気づかされる。
下の本と合わせて、ぜひともお勧めしたい一冊。

無限論の教室 (講談社現代新書)

無限論の教室 (講談社現代新書)

『論理哲学論考』を読む

『論理哲学論考』を読む