仲正昌樹「今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)」

サンデル教授のことなら誰でも知るようになった今、「政治哲学」という分野もまた興味を持たれるようになってきていると想像する。

しかし、同じ「政治哲学」とはいっても、この本で紹介されているアーレントは、かなり雰囲気が変わってくる。

著者いわく、「ひねくれた」思想家であるアーレントは、わかりやすいことは書かない。だいたい、『(利害にも善にも囚われず)討議し続けることが重要(p17)』などと言う人がわかりやすいわけがない。

正義とはなにか、利益の配分はどうすべきか、といった身近なわかりやすいテーマから政治哲学に入っていくのがサンデルの本の面白いところだった。ところが、この本で紹介されるアーレントは、そういう、政治の生々しいあたりから徹底して距離を置いている。著者によれば、『まるでHRの子供のように、利害関係なきコミュニケーションに無邪気に専念し、(p217)』という政治への関わり方が、彼女の考えているところである。

これは、あくまで「わざと」やっているのだ、と著者は考える。利益とか、抑圧からの解放とか、そういう特定の立場にコミットすることを政治だと考えてしまうことの危険性を挑発的に指摘しているのだと。大量殺人は貧困から起きた、とか、自由主義が格差を生み出したとか、ある立場への単純な結びつけが、どれだけ「ほんとうに自由な」議論を圧殺してしまうことか。

たぶん、この人はこういう立場で、この人は右で左で、ということがわかりやすい図式だから、人はどうしてもそうはっきりさせたがる。しかし、政治的な問題にわかりやすい解決などなく、正義はたくさんあって錯綜している。とてもではないが、ぱっぱとうまい方向へ物事が進んでいくとは思いがたい。
そういう意味では、戦前のドイツなどを経験したうえで、「最低でも、複数の考えの異なる人々の意見が、圧殺されずに話し合える」ということを徹底的に考えたアーレントという人の立場は、とても現実に即していると読んで感じる。自由な空間で政治的問題について話し合い、活動していけることの重要性。人間は努力してそういう力を身につけるのであり、最初から自由で理想的な状態でいられるわけではないこと。どちらも説教くさく、現実的でつまらないように感じられるかもしれない。しかし、誰もが誰も自分の利害と理想を押し付けあって何も進まなかったり、安易な解決を求めて集団主義的な、抑圧的な体制になってしまうことが多くの社会で繰り返されることを考えれば、こういう、シンプルで最低限の理想から政治について考えはじめるのはとてもいいことだ。

そうした「活動」を行うのに、「偽善」や「仮面」が必要だとする考えも面白い。特に若い人(自分がそうでないかはわからないが)には受け入れがたいだろうが、現実的に政治を進めていくにあたっても、それが大事だと言っておくことは必要だと思う。この本ではフランス革命の例が出ているが、どれだけ自信がある正義だろうと、自分の利害や欲望を直接に出していくことで、どれだけの衝突が生まれ、どれだけの時間が浪費されるか。頭のいい人ほど、「仮面」と「見せかけ」の大事さについて考えておくべきだろう。

こう読んでいくと、ほんとうに説教くさく、まわりくどい。とても分かりにくい本だろうし、それを著者が好きに語っているところもあるが、だからこそ、いろいろ考えさせてくれる、とても魅力のある本である。

1950年代から60年代にかけて活躍したアーレントについて紹介してくれる著者は、以前にこの本でサンデルをはじめとするアメリ現代思想を紹介してくれた。こちらの本ではアメリカの現代の政治哲学について実に幅広く、しかし興味が持ちやすいようにまとめてくれており、おすすめである。